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始まりはBRAVO②

私の根っこ

犬種特性

当時の保健所の担当者は譲渡してもらった後も
躾や体重管理について相談に乗ってくれた。
ありがたい。保健所から引き出した当時の体重は
28kgしかなかったBRAVO。決してサイズ的には
小柄ではなかったけれど、ゴツゴツと骨ばっていた。
この子は御飯を満足に食べさせて貰えなかったの?
3歳を目前にしてこの体重とは・・・
少なくともグレートピレニーズの牡で体高が74cm位
あるなら、最低でも体重が40kgあっても良いのでは?」

内心、当時の保健所は昨今の動物愛護センターのように
一般ウケするような仕様では無かった為、また譲渡された時も
お世辞でも清潔と言える状態では無かったから
犬猫収容日で飼育放棄されてから、満足に御飯を食べさせて
貰えなかったのじゃないか?と疑っていた。

だから、少し非難めいた声色で保健所の職員に尋ねてみた。
個人情報保護法が無かった時代。飼育放棄した人の詳細こそは
言わないもののある程度の情報は教えてもらえた。

  • 2人の飼い主の手を渡った後の飼育放棄だったこと

  • グレートピレニーズはゴールデンレトリーバよりも
    少し大きいサイズの犬種だと思い購入したこと

  • 最初の飼い主は都会の単身向けアパートで内緒で
    グレートピレニーズの仔犬を飼っていたこと

  • 独居で他に世話をする人も居なく吠えることと
    仔犬の世話に手をやいて第三者に譲渡したこと

  • 譲渡された2人目の飼い主は散歩の引っぱりに
    苦労した挙句の果てに餌の量を減らしていたこと

  • 吠えることと躾の苦労、散歩の引っ張りを原因に
    最後は《犬猫引取り日》へ、飼育放棄されたこと

一生・・・この犬の最期の鼓動の一打ちまで手放さない。
自分がBRAVOの最後の飼い主になってみせると
強く強く心に決めた・・・この話を聞いてから、一層。

子供の頃に憧れた犬種だっただけに、そのサイズは
知っていた私。なぜ、ゴールデンレトリーバよりも
ひとまわり大きいなどと、誤解したんだろ?

購入前に、成犬になった時の概ねのサイズを調べる事は
しなかったんだろうか?決して安い買い物じゃない。
吠える?吠えることが困るような環境でなぜ、犬を飼える?
何よりもサイズが想定外に大きいからと餌をケチる?
今なら十分に虐待に該当しかねない。

グレートピレニーズがどういう犬種かを知らずに
購入して迎えてから

しくじった!!こうじゃ無かった!!

って事か?命あるイキモノなのに何て馬鹿なことを・・・
平成11年、1998年当時は殺処分数は現在とは比べようが
無いほどの数だった。仔犬ならともかく成犬、それも
超大型犬に《最後の命のバトン》を握ってくれる人など
ほぼ居ないっていいような時代だった。

殺処分前提って知ってたんだろうな・・・
なら、迎える前に迎えたい犬種が自分に飼えるか
飼えないか?調べてから買えよ!
そう思った。

保健所からBRAVOを迎えようと決める前、自分なりに
できる限りの事を調べた。ウィンドウズ95が人気を
博した時代だったからパソコン通信(笑)で調べた。

  • 常に自信に溢れ頑固な傾向があり独立的な性格

  • 牧畜番犬として吠えて侵略者や家畜の捕食動物から
    主人の財産や家畜を守る仕事をする犬種

  • 主人やその家族(家畜)の為に命を捧げられる程の
    忠誠心を持つ犬種

  • 被毛の管理にには手間がかかること

  • 躾がその犬種特性から入りにくいこと

まぁ、親を騙くらかして同意を得るために、親に
都合の良い部分だけを伝えたのは言うまでもないっ。
でも、自分のその当時の環境であれば《飼える》
そう確信した。だからこそ、彼をBRAVOを迎えた。

どんなに保健所のセンター長にコ馬鹿にされても
絶対に最高の相棒にしてみせるもーん。
そう誓った。

てか・・・何で人は犬種特性も考えないで犬を買うの?

当時もそう思った。そして繁殖者となった今も。
古来から人々の暮らしを支えてきた働く犬達って
その《個性》こそが重宝がられていたから
その犬種の姿や性質が残されてると。

勿論、性質(行動や躾のし易さし難さetc)だけじゃなく
その外見すらも、その犬種が犬種として固定された
環境や地形など物理的な条件の影響を受けてるよ。

これ、迎える前に知って欲しかったな。

そうしたらBRAVOは、その命を諦められずに済んだ。
2人もの飼い主の手を渡らずに済んだのに。

そんなBRAVOの信頼が欲しい私は自宅の階下の
ビルトイン車庫のコンクリートの床に
毛布とクッションを敷いて添い寝した。
甘えてくれなくても散歩で引っ張り倒されても
別に良かった・・・ひたすら自分の手元に
命あるBRAVOが居てくれるのが嬉しかった。

1998年初夏・・・若かったな自分も。

いい加減、コンクリートの上で眠るのが嫌になり
自分の家を持つことを決めた理由がBRAVO!


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