こころころころ

 東京二十三区目黒探偵事務所のあばら屋に、ほっそりとした女性が訪ねてきた。
「あの、あなた様が探偵さんですか」
「はあ」
 と、寝起きの目黒考次郎は機嫌が悪い。
「ふだんはどのような調査を?」
「うちは不倫は扱いませんのでね。ふだんは猫探しとか殺人事件の謎解きとか」
「幅広いんですのね」
「まあ、ご依頼いただいたらたいていのことは」
「主人の……を探していただけないでしょうか」
「は?」
「主人の」
 と言って夫人は泣き出し、突っ伏してしまった。
 目白にある夫人の家で、目黒は途方に暮れていた。
「ここで、ご主人はじっと固まっておられたわけですね」
「はい。呼びかけても返事もなく、すぐに救急車で搬送されました。でも、病院では、なにも異常はないというんです。もう一週間になりますが、まだ意識は戻りません」
「それはやはり病気なのでは」
「警察の方もそうおっしゃっていました」
「警察にも相談したんですか」
「はい。原因もなく、突然、意識だけがなくなってしまったので、これは事件ではないかと思いまして」
「うーん」
 目黒はうなった。
「ご主人ですが、あなたが発見された時にはどんな格好でしたか」
「体育座りというのでしょうか。爪を切っていたのだと思います。右手に爪切りを持っておりましたから」
「その爪切り、まだありますか」
「はい」
 振ってみると、爪の切れ端が出てきた。太い。
「これは足の爪ですね」
「たぶん右足の親指かと」
「ちょっと病院に行ってみましょう」
 目黒は、点滴で命をつないでいる夫を見た。色つやがいい。意識さえあれば、健康体だろう。
 爪の切れ端を合わせてみた。
「たしかに右足の親指ですね。ぴったり形があいます」
 状況からみて、爪を切ったとたんにこの男から意識が消滅したとしか考えられない。とすれば、この爪の切れ端のなかに、なにかがあるはずだ。論理的帰結である。科学性はかけらもないが。
「突き刺してみましょうか」
「は?」
「いや、おいやならやめておきますが」
「いえ、なんでもしてみてください」
 夫人は深いため息をついた。
 ぷつ。
 親指に付き立った爪。血の玉がふくれる。
 一分。二分。
「あの……私たちはいま、なにを待っているのでしょうか」
「人には心があるかもしれません。ないかもしれません。あるとして、どこにあるかはわかりません。仮に、心がぐるぐる体の中を回っているとしたらどうでしょう。たまたま爪の先にいるときに切り離されてしまったら」
「仮定ばかりですね」
「推理のしようがないものですから仮定の上に仮定を重ねた結果、爪を体に刺してみた、というわけです。期待はしないでください。私もしていません」
 夫がぱちっと眼をひらいた。
「ここはどこだ」
 依頼人と探偵は、顔を見合わせた。
「事件は解決したようです。謎解きはありませんが、報酬はこの口座によろしくお願いします」

(了)

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