流し素麺

「散歩に行くでチュー」
「この暑いのに?」
「太陽の光を浴びるでチュー。すこしは元気になるでチュー」
 最近、ぼーっとしていることが多いので電子ネズミなりに心配してくれたのだろう。
 が、この季節に散歩に出ると、元気になりつつ脱水で死んじゃう気がする。ま、いいか。
 びすをポケットに入れて、外に出た。むわっと熱気が押し寄せてくる。住宅街を歩くとクーラーの室外機から熱い空気が吹き出してきて殺意を覚える。ふだんは自分も同じことをしているんだけど。
「おーい、どこに行くんだ?」
 まっすぐでチュー、右に折れるでチュー。
 ポケットの中の声を聞きつつ、汗だくで歩く。びすは小型アイスノンの上に寝そべっているからさぞかしいい気分だろう。
 住宅地を抜けるというより、どん詰まりに出た。ちょっとした広場になっている。
 何本かの樹木が茂り、大きな岩があり、涼しげな雰囲気だ。人が集まってなにやらごそごそしている。
 びすは静かだ。眠ってしまったのかもしれない。
 ぼーっと眺めていると、ご近所らしいおじいさんが声をかけてきた。
「ここははじめてかい?」
「はい」
「じゃあ、これを上げよう」
 そういって、テント小屋に入り、箸と小さなお椀をくれた。お椀には鰹だしの汁が入っている。いい匂いだ。
 おじいさんに連れていかれたのは、岩場である。
「おーい、この人、はじめて来たそうじゃ。ちょっとあけておくれ」
 ひとびとの列がさっと割れると、異様な光景が見えた。身長くらいある岩の半ばから、水といっしょになにか白いものがちょろちょろと漏れ出している。
「ここはのー、湧き素麺というて、地下からどんどん素麺が湧き出してくる場所じゃ。いまは観光のお客さんが喰うてくださるからええが、昔は、村人が総出で喰いまくったもんじゃ。用水路が終わるまでに食い終わらないと、水田がやられてしまうでな」
 いまはもう、水田はなく、あたり一面が住宅地だ。新興住宅地の雰囲気はないから、一面の水田というのはきっとおじいさんの幼い頃の記憶だろう。
「さあ、喰うてみなされ」
 私は箸を出して、素麺の束を掴みとり、つゆに浸して喰ってみた。
「いけますね」
 うんうんとおじいさんは頷いている。
 まわりの人たちと一緒に満腹するまで喰った。
 喰っている途中に気づいたのだけど、きゅうりやトマト、ハム、豚肉の細切りを加えつつ、薬味をたっぷり添えて喰べている人たちもいる。
 おじいさんに聞いてみると、会員特典なのだそうだ。
 私はテント小屋で湧き素麺会の会員証を作り、月千円の会費を払って、帰路についた。
 涼味たっぷりで、すっかりいい気分だったが、住宅地のなかはあいかわらずの焦熱地獄。家に帰り着く頃にはすっかり汗まみれになっていた。
「どうだったでチュー」
「いやーよかった。また行くよ」
「杉並区観光名所復活の旅でチュ」
 びすはこの手の穴場を、観光課の電子ネズミからたくさん仕入れているらしい。

(了)

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