ロビイスト

 あたしがロビーでテレビを観ていると、ふらふらとやってきた313号室の藤原さんが、「イストってなに」と聞いてきた。
「イスト?」
「あんた、どっかの英文科出たって言ってたじゃない」
「なになにする人って意味じゃないですか。アーティストはアートする人ですし」
「そうかあ。じゃあ、ロビーにいるあたしたちはロビイストだねえ」
「ロビーをする人ですか。あはは」
 あたしは誤魔化して逃げようと思った。
「ちょっとなに言ってるのよ。ロビイストってのは、全米ライフル協会みたいな、怖い圧力団体でしょ」
「ありますね」
 あたしは諦めて浮かしかけた腰を椅子に戻した。ロビーにはテレビとその前のテーブルを中心にして、十脚くらいの椅子が設置されている。
「あたしたちで圧力団体作っちゃおう」
 藤原さん躁転したのかなあ。
 看護婦さん来ないかなあ、と願いつつ、あたしは話が暴走するのを食い止める努力をする。
「あのー、あたしたちがロビイストだっていうなら先に圧力団体がなきゃダメですよねー」
「さすが英文科。詳しいねー。そうか、すでにある圧力団体かー。あんた、なんかある?」
「ないですよ、そんなもの」
「あれとかあれとか」
 藤原さんはとても書けないようなことを口にした。
「あのねー、冗談でもそういうこと言わないでください。ほんとにいるかもしれないんですからっ」
「怒らない怒らない。いたら調子合わせて入信しちゃえばいいんだから」
「あたしはイヤですっ」
「もう。真面目なんだから」
「藤原さん、ひとりでやってください」
「んー、私、学校出てからずっと引きこもってたから、所属団体とかないんだよねー。引きこもり歴二十年。あ」
「なにかありましたか」
「藤原家」
「団体つーより、家族ですね」
 藤原さんはもうあたしの話なんか聞いていない。
「私は藤原家を代表してこのロビーにいるわけかあ」
 いや、藤原家をはみ出して入院しているだけだと思うけど。
「藤原家代表としては、なにを主張するべきかなあ。うーん、風呂を温泉にしろ」
「でたらめに掘っても温泉なんか出ませんて」
「テレビをもっとデカくしろ」
「液晶テレビが入っているだけマシだと思います」
「個室から差額を撤廃」
「それはいいけど、実現しちゃったら患者が押し寄せて、あたしたち追い出されちゃいますよ」
「そうね。これはやめとこう。たまにはビフテキを食わせろー」
「寿司を食わせろー」
「ビールをつけろー」
「ドリンクバーを作れー」
「デザートもつけろー」
「……藤原さん、サイゼリアでも行きます?」
「そうねー。ちょっと小腹も空いたし」
 こうして藤原さんのロビイスト活動は誰にも知られぬまま終息した。

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