一年の計

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 一年に一日、しかも午前中だけ営業するという幻の店がある。元旦屋である。
 売り物は、一見おみくじに見えるが、もっとおごそかだ。元旦の計である。
 その昔はちょっとした書家として鳴らしたおやじが、ものすごい速さで書き殴った紙を、おかみさんがするすると巻いて商品に仕立てる。
 中野の目眩坂の途中にあるのだが、噂は噂を呼び、いまや全国から客がやってくる。
「三万円の計をくれたらんかい」
 という堺商人がいるかと思えば、
「五百円の計をください」
 という近所の中学生もいる。
 その場であけて大自慢する者もいれば、財布にしまってこっそりと姿を消す者もいる。
 当たるとか当たらないとかで売れているわけではなく、なんとなく、ありがたいのだ。
 そんな大賑わいの中、
「五円の……」
 と呟いた男がいた。三十五歳くらい。全身黒っぽい服装で、一目で飯を食えていないことがわかる。
 やめておけばいいのに、男はその場で巻紙をするすると開いた。
「三途の川を渡る」
 シーンとあたりが水を打ったように静まりかえった。
 男はなにを思ったか、深々と一礼すると静かに去っていった。

(了)

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