釣り師

 目黒駅で170円の切符を買い、品川方面行きの電車に乗り込む。品川では降りない。そのまま、山手線をぐるりと一周し、ときどき電車を乗り換え、十周してまた目黒駅から自宅に戻る。
 これがここ数週間の目黒考次郎の日課だ。
 仕事である。
 前から八両目、向かって左側の中央扉の手前の席の上の広告を見てほしい。
「どんな難事件も、格安料金で、すぐさま解決。ご依頼は、この下の人間に。目黒探偵事務所」というコピーと目黒考次郎のブスッとした写真が乗客の目に晒されている。経費はこの広告だけだ。
「あの……」
 と、見知らぬ女性が声をかけてきた。
「目黒さんですか」
「はい」
「毎日痴漢被害にあってるんです。なんとかなり」
「料金は三万円。出来高払いです」
「お願いします」
「じゃあ、ちょっと失礼しますよ」
 といって、目黒は女性の腰に小型カメラを取り付けた。
 やがて痴漢がやってきた。
 女性が目で目黒に訴える。
 目黒は我慢してと目で返事する。
 ニタニタと獲物に近づいてくる痴漢。最初はおしりをなでていたが、どんどんエスカレートして手はスカートの中に。ちくりとした痛み。
「きゃああああ。痴漢。誰か助けてー」
 と女性は絶叫する。
 痴漢は驚いて逃げ出した。
 糸がどんどん伸びる。
「あ、痴漢が逃げちゃいます」
「安心して。だんだん弱ってきますから」
 と目黒は釣り竿を手にして、伸びる糸を目で追っている。ときどき手に力を込める。リールを巻き始めた。
 突き刺さった針は絶対に抜けない。無理に抜いたら肉をごっそり持って行くことになる。だんだん引き寄せられていく痴漢。
 やがて、力尽きた痴漢は元の場所に戻り、「ひどいことしないでくれよお」と言ってばったり倒れた。
「はい、これが証拠のビデオ」
 と言って、目黒は痴漢とMicroSDメモリを手渡した。三万円を受け取って、また涼しい顔で読書を続ける。
 名探偵目黒考次郎、しばらくは痴漢を釣って、食い扶持を稼ぐつもりだ。

(了)

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