名探偵の休日

(全文、無料で読めます。投げ銭歓迎。)

 目黒考次郎が温泉につかろうとすると、背中が見えた。
 人がぷかんと浮いている。
 海藻のように広がる黒髪は女性のものかと思われたが、油断はならない。長髪の男なんていくらでもいる。
 目黒はお湯をかきわけ、溺れている人をぐいっと引き上げた。
 うわっ。
 巨乳をわしづかみにしてしまい、思わず手を離した。
 まさか若い女だとは。
 しかし、貴重なのは生きている若い女であって、死んでいる若い女ではない。
 もう一度からだを引き起こし、呼吸が停止していることを確認した。
 目黒は死体には冷たい。
 死体も冷たい。
 黒髪をつかんで風呂から引き上げた。
 オフなんだがなあ。
 駅前にある宿のせいか、すぐにどやどやと地元警察が“やってきて、第一発見者は? ということになった。
「私です」
「あんたは変態ですか」と刑事が単刀直入に聞く。
「いきなりなんですか」
「なんで堂々と女風呂に入っているんだ」
「私が入ったときは男風呂でした」
「どういうことだ」
 番頭がおずおずと前に出てきた。
「午前と午後では、男風呂と女風呂を切り替えるものですから」
「あんたは死体が見つかったというのに、まだ営業する気か」
「すみません」
「すぐにのれんを外せ」
「はいっ」
「あっ、ちょっと待て。この被害者に心当たりはないか?」
「うちの従業員です」
「先にそれをいわんかっ」
「すみませんっ。花岡すみれ。23歳。女将さんのいとこで、この宿で修行しておりました」
「女将を呼んできてくれ」
「女将でございますー」
「花岡すみれさんが亡くなった」
「あらまあ」
「あんた女将のくせにこの大騒ぎに気づいてなかったのか」
「買い物に出ていたものですから。すみれちゃーん。仕事中に寝たらあかんよー」
「死んどるんじゃ」
「この人が犯人ですか?」
「違うぞっ」目黒はあわてて叫んだ。「私は第一発見者であり、この旅館の客だ」
「あらまあ。いらっしゃいませ。女将でございますー」
「はいはい。挨拶はあとで」と刑事が割ってはいる。
「でも」といって、女将は目黒にウインクを送ってきた。
 目黒は頭が痛くなってきた。どうなっているんだこの旅館は。
「すみれさんが男風呂にいたのは、なぜかな」
「掃除が終わっていなかったのかもしれませんなあ」
「裸だった理由は?」
 女将は目黒にウインクを送ってきた。
「その紛らわしいウインクはやめんか」
 刑事と目黒は同時に叫んだ。
「木原刑事。被害者の頭に大きなこぶが」
 と鑑定医。
「足を滑らせた? じゃあ、これは事故か?」
「詳しいことは解剖してみないとわかりませんが」
「目黒さん、あなたが花岡すみれを発見したとき、まだ生きていたのでは?」
「もう溺れてましたよ」
「服を脱がせたのはあなた?」
「違いますって。だいたい、ないでしょ、この人の着ていた服。私、もう服を着ていいですよね?」
「いいですよ」
 目黒考次郎が浴衣を着ているうちに、事件は事故に格下げになったらしい。そのまま無罪放免。
 部屋に戻って晩飯を待っていると、
「お待たせいたしました」
 と言って入ってきたのが、花岡すみれ。
「うあああっ」
 目黒はさすがに腰を抜かした。
「あ、あなたは、昼間死んでいたすみれさん」
「そんなわけないでしょう。私はかすみ。すみれの妹です」
「瓜二つですね」
「双子ですから」
「ああ、驚いた」
「すみませんねえ。女将が、きっと驚くから行け行けというものですから」
「へんな女将だな」
「変わり者です」
「お姉さんはお気の毒だった」
「姉も変わり者でした」
「君は?」
「上に同じ」
「ちょっと頭を見せて」
「これのこと?」
 かすみは着物の裾から携帯こぶを取り出した。
「やっと宿の名前の由来がわかったよ」
「第一発見者の宿へようこそ」
 かすみことすみれはなにがおかしいのか、くすくす笑った。
 名探偵ぶらなくてよかった、と目黒は安堵し、その夜はぐっすりと眠った。ひさしぶりの休日だった。
 
(了)

ここから先は

62字

¥ 100

新作旧作まとめて、毎日1編ずつ「朗読用ショートショート」マガジンに追加しています。朗読に使いたい方、どうぞよろしくお願いします。