ワインの話

(全文、無料で読めます。投げ銭歓迎。)

 近所にワインバーが開店した。
 ワインのことなどなにもしらないのに入ってみようという気になったのは、ドアの前に出ていたメニューに600円からと書いてあったから。この程度なら試してみてもいい。
 入ってみると、愛想のいいおじさんがひとりでやっていた。
 テーブルはさみしいので、カウンターの端に座る。
 じつは私、白と赤がどう違うかさえ、よく知らない。こういう場所で「適当に」というのは失礼なんだろうか。
 と考えていると、
「赤にしますか白にしますか」
 と聞かれた。
 悩んでいると、たたみ込むように、
「青ですか緑ですか。橙ですか紫ですか」
 と聞いてくる。
 紫のワイン? ほんとにあるの。
「黄緑、ショッキングピンク、ブラウン、イエロー」
 おじさんはなにかが壊れたように色を呟き続ける。
「ああああ、赤でお願いします」
「赤ですか。わかりました。どんな赤ですか」
「赤にも種類があるんですか」
「ございます。赤、赤さび、赤橙、あかね色、赤紫、小豆色、杏子色、臙脂、カーマイン、黄赤、金赤、銀朱、サーモンピンク、桜色、シグナルレッド、猩猩緋、深紅、スカーレット」
「いやいやいや」
 私は手を振って遮った。
「それは色の名前を言ってるだけでしょう」
「それがなにか」
「いま私はワインを注文しているので」
「えっ。楽しい色の話かと思ってました」
「なんの店ですか、ここは」
「色の店です」
「えっ」
「私、数ある色のなかでもワイン色が一番好きでして」
 ややこしいなあ。あまり付き合うのもなんだと思って、私はさっさと一品頼んで帰ることにした。
「じゃ、最後のスカーレットというやつをお願いします」
「#DE3838」
「はい?」
「#DE3838でございます」
 ただの16進数マニアかよっ。
「#343434」
「墨、ははあ、済みでございますか。お客さんもお好きですなあ。お代は600円になります」

(了)

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