IMG_1434_1__トリミング

その凍てつく冬の国には、太鼓と言葉で魔法をかける魔女がいる――『ゴースト・ドラム』について。

 きっと誰にでも、子どもの頃に読んだ思い出の本があると思う。その中には、後の人生に影響を及ぼすほどの強い物語とさえ出会ったかもしれない。
 私にとって『ゴースト・ドラム』はまさに、そんな「強い物語」なのです。
 いや、影響を及ぼすなんて言葉では足りないくらい、この本は私の魂にぐっさりと刺さり、根ざし、今なお心と不可分な存在になっているのだ。

読んだのは確か、小学校6年生の時。
地元の駅前で一番大きかった有隣堂の児童書コーナーに、福武書店の<ベスト・チョイス>シリーズがずらっと並んでいた。以前から、ロバート・ウェストールの『かかし』や『ブラッカムの爆撃機』、レオニー・オソウスキー『空のない星』などをうちの姉と一緒に読んでいて、「本屋に行ったら<ベスト・チョイス>を探す」みたいな習慣もあった。
棚にささって、こちらに背表紙を向けて並んでいる本をつらつら見ていると、赤い本が目に留まった。それがスーザン・プライス『ゴースト・ドラム 北の魔法の物語』だった。

買ったのは<ベスト・チョイス>が終わると知った後の年だから94年だと思う。初版ではなくて、第二版だ。83年生まれの私は11歳。
絶対に手放したくなくて、買ってから二十年以上が経った今も、ちゃんと私の手元にある宝物。

美しい本です。この表紙と出会うまで、私は彼女が着ている衣服にも馴染みがなかったし、「北の異国」がどのようなものなのかも知らなかった。けれど一目見て、なんて美しい本なんだろう、買わねば、と思った。
幸いうちの母は、おもちゃの類いは買ってくれないけれど本だけは買ってくれる人だったし、この装丁画は母も気に入り、しかも翻訳者がお馴染みの金原瑞人さんということもあり、すんなり買ってもらえた。

家に帰ってすぐに紙袋から本を取り出し、ぱらりとページをめくった。

<これは(と猫はかたる)、はるかかなた、皇帝がおさめている国での話。その国では、冷たく暗い冬が一年の半分。
 雪は深くつもり、いつまでもとけることなく、とけないままにいてついて氷となる。クマが上を歩いてもびくともしない。いてついた雪の表面の輝きは、さながら白い空の白い星! この国の北の地方では、冬は長い長い一夜。その長い夜の間、空の星は闇の中で輝き、雪の星は白さの中で白く輝き、天と地の間には、寒々しい薄明かりがふるえながらカーテンのようにたれこめている。
 この地方の冬はつきさすように寒く、空からおりてくる雪はかみつくような音を響かせながら、途中でかたくこおりはじめる。雪は深く、どの家も雪の中になかばうずもれ、いてついた雪はすさまじい力で家をにぎりしめ、家はかん高い悲鳴をあげる。

 この話は(と猫はかたる)、この遠くの国の冬至の日にはじまる。一年で最も短く、最も暗く、最も寒い昼が終わると、次は最も長く、最も暗く、最も寒い夜がまちかまえている。この昼とも夜ともつかない暗い日の晩、ひとりの奴隷女が女の赤ん坊を生んだ。>

福武書店版の『ゴースト・ドラム』はこうしてはじまる。

貧しく粗末な奴隷たちの家、煉瓦造りの大きな箱形のストーブが家の真ん中に置かれ、その上で家族が寄り添って眠る夜、奴隷女は赤ん坊を抱いて休もうとする。だがつらくて胸がはち切れそうだ。なぜならこの国を治める皇帝陛下、残虐非道なギドン皇帝の機嫌如何で、奴隷は働かされたり蹴られたり売られたりする。そしてこの奴隷のもとに生まれた子もまた奴隷になると決まっているのだから。

その時、見知らぬ老婆が家を訪ねてくる。そして、この赤ん坊が生まれるのを百年も待っていたのだと言い、引き取らせて欲しいと頼んでくるのだ。

<「ほら、あたしの背中にあるのは魔法の太鼓だ」老婆がいった。「これであたしが魔法使いだってことがわかっただろう。姿を変えることもできれば、死者のあとについて死者の国にいくこともできる。あらゆる魔法を心得ている、魔法の力を持った女なのさ。(中略)百年の間、毎日、あたしはこの太鼓をたたいては、霊たちに、いつ、どこで、あたしの娘にすべき赤ん坊が生まれるのかたずねてきた。今日がその日だ。おまえの娘が、その子なんだよ。その子をあたしにおくれ。あたしが育てれば、けっしてひもじい思いをさせることはないし、こごえ死んだり、むごいあつかいを受けることもない。奴隷になんかならないですむんだ。その子をあたしにおくれ。そうすれば、自由にしてやれる。魔法の力をさずけてやれる。」>

母親はしばし迷った末に、この魔女に娘を渡す。皇帝陛下に見咎められることのないように、身代わりの雪の人形と交換に。

物語は、この極寒の冬至の日に生まれた娘、チンギスが主人公となって進む。チンギスは老婆の太鼓の魔法でどんどん大きくなる。成人として目覚めたチンギスは、牛乳の入った水差し、バターのはいった鉢、塩、ピクルス、黒パンとニシンの皿、血をまぜて作ったプディングにソーセージ、かたくてしょっぱいクラッカー、やわらかいチーズ、リンゴ、長いこと貯蔵しておいたしわらだけの甘いオレンジ、玉ネギ、卵、酢漬けの黒い胡桃、リンゴケーキ、サクランボで香りをつけたウォッカ、レモン、老婆がためておいたありとあらゆる食料を食い尽くす。(言うまでもなく、ここの場面がやたらと食欲をそそる)
こうしてチンギスは、にわとりの足が生えたどこへでも移動できる家で、老婆から魔術を学ぶ。

一方、冬の国の残虐非道な皇帝、ギドンと、その冷酷な妹マーガレッタの話が進んでいく。

<ギドン皇帝の富は計ることも数えることもできないくらいだ。というのも、国の中にあるものはすべて皇帝の財産なのだから。金貨一枚、宝石一個、土くれ一つ、砂一つぶにいたるまで。そしてあらゆる山、あらゆる丘、あらゆる盆地までが皇帝のものだった。
 獣も一匹残らず皇帝のものだった。野生であれ、家畜であれ、生きているものはいうにおよばず、死んでしまったものまでも。花も、芽も、みな皇帝のものだった。森、野原、庭、どこにいきていようがすべて。そして植木箱に、植木鉢に、壁のわれめに生えているものさえ、すべてが皇帝のものだった。
 もし鳥か虫が国境を越えて飛んできたら、それも皇帝のもの。鳥や虫が飛ぶ空の空気も皇帝のものなら、人々の肺の中の空気も皇帝のもの。そして国民も、皇帝のものだった。>

 しかし、これほど強大な権力を持つギドン皇帝には、妻も子どももいなかった。そこに世継ぎ問題が勃発する。
 一悶着合った末にギドン皇帝は国中の女を集めさせ、そこから選ばれた哀れなファリーダをめとることになる。そして息子サファが生まれるのだが――
『ゴースト・ドラム』はこのギドン皇帝と妹姫マーガレッタ、息子サファ、魔法使いのチンギスと、同じく魔法使いのクズマという男を中心にし、この国を覆う凍てつく氷と同じように厳しい筋書きを進んでいく。皇帝はすぐに人を殺すし、妹姫は見た目と言葉は麗しく甘くても、その舌の裏には猛毒が潜んでいる。人々はたびたび、皇帝と妹姫に反旗を翻し、絶対支配に抗おうとする。けれどそのつど散っていくのだ。

ジャンルとしてはハイ・ファンタジーになるのだろうけれども、対象年齢を聞かれるとちょっと困る。物語に親しんできた子どもなら12歳頃からでも読めるだろうし、引用文からもわかるとおり、大人でも充分読めるだろうからだ。というか、年齢を問わない。
自由を求めようが追従しようが容赦なく命を奪われる世界を舞台に、魔法使いチンギスはひとり立つ。彼女には大きな目的があるわけでも、勇敢なわけでもない。ただひとつの思いのために立ち上がるのだ。
その重厚な物語を見事に演出するのが、極寒の風土。読んでいると寒気を感じる。ヒーターにあたっても凍えそうになる。文字の間から、幻の氷がこちらをぐさぐさと刺してくる。

それまでも、『はてしない物語』や『トムは真夜中の庭で』などの豊かな本は読んできたけれど、『ゴースト・ドラム』は私にとって一生忘れられないだろう読書体験になった。

今読むと、たとえばにわとりの足が生えた家はバーバ・ヤーガだろうなとか昔から伝わる民話や伝承のモチーフもわかったりする。とにかく何度読んでも楽しい。

私は『オーブランの少女』という短篇集でデビューしているのだけど、その中の最後に収録した「氷の皇国」は、『ゴースト・ドラム』のオマージュとなっている。11歳で出会ったきりあの物語から抜けられなくて作ったのが、架空の世界「ユヌースク」だ。ユヌースクは私にとってもとても大事な世界なので、ここでまた違う物語を語りたいと思っている。

………さて、ここまで『ゴースト・ドラム』について語ったのは理由があってですね。

これまで日本には『ゴースト・ドラム』しかなかったんですが、なんと作者スーザン・プライスは『ゴースト・ドラム』の続編を書いておりましてですね、実は三部作だったのです。
『ゴースト・ソング』と『ゴースト・ダンス』。
この二冊はいずれも未訳で、私はもちろん読んでません!続編があることすら知らなかったくらいです。

『ゴースト・ドラム』自体、私が愛読した福武書店版は絶版となっており、翻訳者の金原瑞人さん自らがクラウド・ファンディングを募って、現在はサウザンブックス社から刊行されています。

それでですね。この続編『ゴースト・ソング』『ゴースト・ダンス』の刊行を目指したクラウド・ファンディングが開始しました!

……のですが、ご支援をぜひより多くの方から頂くべく、イベントを開催いたしますのです。なんと!!!私と!!!金原瑞人さんで!!!トークイベントを!!!やりますin青山ブックセンター!!!!3月22日(金)の夜19時です。

金原さんには以前からいろいろお世話になっているのですが、今回は初の対談でございます。座席数が100席以上あるみたいなので、金原瑞人さんファンの方も、私の本を好きでいてくださる読者の方も、ぜひぜひふるってご参加下さればありがたく思います。サイン会もやりますよ!!(お前は便乗だろうという感じですが)

読みたい。読みたいんです。続編を。未訳の続編を、私は読みたいんです。

ぜひぜひ、ぜひぜひ。お力添えを下さいませ。

この痺れるほど美しく残酷で夢のような氷と言葉の魔法の物語に、あなたもご参加ください。

お待ちしてます!!!


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