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【僕らはふたりのままで】①

ー・・・ 世界が色彩を欠き始める寒空の下、2人は影をひそめて歩き続けていた。息も白く凍り始める季節、薄くのびた影はくっつこうとするN極同士みたいだ。

 ふたりは恋人...のようには、見えなかった。男の方は20代後半から30代に乗り切らないくらいのくたびれた風貌で、少し猫背が目立つ。


 男は赤くなった鼻までずり下がった細いフレームの丸メガネをくいっと押し上げて右隣の少し小さい影に話しかける。

 「さすがに...寒くなってきたね。」
 
ほわっと白い息が彼のメガネをうっすらと曇らせた。

「手袋、玄関に置いてきちゃいましたよ。」

息で両手を温めながら、彼女が笑った。

「でも...先生?なんで私なんですか?」

「先生の周りには誰もいないの、知ってるだろう。」

「だからって別に私じゃなくても...ほら、あゆみちゃんとか。」

「寺下先生と呼びなさい。」
「それに君だって、そうは言いながら嬉しいんじゃないのか?」

彼女は寒さで赤い顔をさらに赤くしてうつむいた。
男はそれをみて安心したように微笑んで続けた。

「それならお互いに利益しかないじゃないか。
 僕にも君以外に頼る勇気はなさそうだし...」

「...ねぇ先生?今のセリフ、クサいしほぼ告白ですよ?」

「...ん?」

彼は真っ直ぐ前を向いたまま、そっけなく答える。

「...。ゆうきくんのケチ。」

「先生と呼びなさい。プライベートで会っていても君と僕は生徒と先生だ。」

「そーやってまた。
 ...本当は私がどんなこと思ってるのかも知ってやってるんでしょう?」

今度はにこっとこちらに微笑んだだけだった。
なぜこの男は微笑みひとつでこうも許せてしまうのだろうか。
いつものことだ、と彼女は諦めてまた前を向いて歩き出す。
2人の後ろに揺れ伸びる影は、さっきより少し、濃くなってきたようだ。




「ねぇ?なんで今日、私を誘って美容室なんかに行きたいって言い出したんですか?」

「ひとりで行くのが怖いんだよ」

「絶対ウソでしょ。」

「ウソだよ、冗談。
 でも、そうだな...かっこよくなれるから、かな?」

「それ先生が言います?」

彼の外見は、決していいとは言えないだろう。
彼女が苦言を呈するのも無理はない。

いびつでくたびれた、年代ものの黒いシンプルなスニーカー
しわが染み付き、首元もよれ始めている黒のコート
中には無地の白いTシャツ
くたびれた上半身とは対象にタックのきれいな黒いスラックス

何日か着回したようなよれた服装の上からでも、センスとスタイルの良さは隠せていない。

「ほんとに、その服しかないんですか。」

「あぁ...そうだよ。思い入れの ”ない” 服はもう、
 これしか残っていないんだ。」

「いつもだったらスーツだけでいいですもんね」

「そうだな。だから教師は辞めなくてもよかったんだよ。」

ゆったりと独特な雰囲気をもつ彼の低い声は、どこか意味深で吸い込まれそうになる。

「やっぱりまだ...駄目ですか...?」

「...。もうしばらくは、かかりそうかなぁ。」

珍しくふっと笑った気がして彼の顔を覗き込んでみたが、少し油っこさを感じる肩まで伸びっぱなしの天然パーマが、彼の顔をほとんど隠していて表情の全ては見えない。

「その髪、本当に切るつもりですか...?」

「まぁ、美容室ってそういうところだろう?」

そう言いながら、左手でわしゃわしゃと髪をかきあげて白い歯をこぼした。

「っ...!」

葉音はのん?どうしたんだ?顔赤いじゃないか。この寒さでカゼでも引いたか?」

「もうっ!先生またそういうときだけ意地悪!」

「ごめんごめん。意地悪しすぎたか。じゃあ髪も切らないほうがいいか...。」

「いや!ぜひ切りましょう、」

「なんで切らない君がそんな食い気味なんだ?葉音には関係はないだろう?」

「いや、あの...もっとかっこいい...先生も見てみたい...です。」

「え?いまなんて言った?」

「なんでもないですっ!」

彼女は走り出してくるっとこちらに向き直ると、とおせんぼをして思いっきりの笑顔をつくった。彼は彼女には構わず、何でもないような顔をして笑いながら横をすり抜けた。



泣きそうで声がうわずってしまう。わざと明るい声を出してとびっきりの笑顔でごまかした。先生は口元を緩めたまま私には構わず、またさっきまでと同じように前を向いて歩いている。その後姿を見て葉音はよけいに泣きそうになってしまう。

(先生...これでよかったんだよね?)



私とゆうきくんが初めて会ったのは、4年とちょっと前になる。



つづく。

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