幼稚園の日記#1「ふりかけ、三国干渉、印刷ミス」

一体どれくらいの19歳の人の脳やすね毛の中に10年以上前の幼稚園の記憶が残っていることだろう。私の腕毛の中にもわずかしか残っていない。腕毛を切れば切った先から伸びてきて元の長さに戻って記憶が2倍になり、新たな出来事を思い出せる可能性もあるが、残念ながらそこに残っている記憶は幼稚園のクラスメイトのこうき君が使う特殊な量子力学的魔術を使わなければ参照できない。
昨日、なにわ筋線の車内で久しぶりにこうき君と会ったので、その際に私の脇毛からよみがえった記憶について少し書いてみようと思う。

1,教室で弁当を食べていたところ、クラスメイト(友達がいなかったのでこう書くのだ)がふりかけを持って「これ、薬だからぁ、ウヒヒのヒ」といって大きく口をあけてザラザラと流し込み飲んでしまった。今考えれば当然これは悪ふざけと冗談のミックスジュース的混合物であろうが、私はふりかけにそんな薬効があったのか、ウヒヒのヒとたいそう感動した。しかし自分にはできない芸当だなと思い、己の無力さを痛感して修行の旅に出た。ふりかけを飲みに徒歩で熊野詣へ。

2,ミニ遠足だかプチ強歩大会だかマイクロ学徒出陣だかわからん行事で幼稚園の近くの田んぼ道を歩いていたとき、劇団ひとりに顔が似ているクラスメイトのN君が用水路に落ちてしまった。実際は落ちていないのだが、私の記憶は確かに落ちたんだと言って譲らないのだ。シュレーディンガーのN君である。今彼はきっと箱の中に住んでいるのだろう。

3,幼稚園バスの運転手のおんちゃん(方言でおっちゃんのことをこう呼ぶのだ)に「連接バス」(バスの形状を司る遺伝子の突然変異により2つつながったような形をしているバス)の話をしたところ、「そんなバスはない」と否定された。でも確かにあるのだ。私はこのころから本当のことを嘘だと言われるのが嫌いだったと思う。悔しくなり、おんちゃんの実家の両親に文句をつけに行くため、五月ヶ瀬(遺伝子に異常があるせんべいの一種)をお土産に携えて天竺へ向かった。

4,ひな祭りでひな壇が体育館のステージに置かれていたとき、私はいつも餃子を食べていると勝手に思っていたT君の靴とマイナンバーカードをひな壇の下に隠して困らせてやった。立派ないじめであるが当時は脳の容積がオイランヤドカリ並みだったのでそれがいけないことだとわからなかった。案の定先生に叱られ、靴と遼東半島はT君に返還されたが、彼のマイナンバーカードと運転免許証と戸籍謄本と通帳と澎湖諸島は先生がそのまま職員室まで持って行ってしまった。

5,なんだか天使の絵が天井に書かれているレストラン(サイゼリヤではない)に家族で行き、なんだかエビとソースが使われている料理を食べた。今の私は天使の絵もエビもなんだか駄目であるが、このころはなんだか大丈夫だったらしい(エビの絵は今でもおいしく食べられる)。

6,各人に1冊ずつ配給されていた落書き帳に、園庭の畑で収穫したクレヨンで「工」という漢字を書いて、しまじろうに顔が似ているU君に見せびらかした(このころから漢字が好きだった)。彼が「これは”え”と読むのか」と言ったので私は得意げに「"こう"と読むのだ」と言ってやったらびっくり仰天して「こうぅぅぅぅ!?」などとびっくり仰天していた。びっくり仰天していた様子だった。

7,まったく料理の知識はなかったが、それっぽくレシピを考えるのが好きだった。以下は落書き帳(もちろん手書き)からの抜粋である。

ミモザンボン
さとうでっかいさらにたくさんいれて
らんおうあちこちにたくさんいれて
さとうにからめてくう
しょうさいは
もっと
あっち
(いきなりいんさつミスで
ごめんなさいです)


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