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私にとって恋とは嫌悪すべきものでしかないのだ

 恋愛ということでデリケートな話題であるわりに過激な表現がみられるかもしれないけれども、論理的な主義主張を述べようというのではなくて、あくまで私の個人的な取るに足らない恨みつらみぬらみ(そんな言葉はない)であることをご了承ください。

 
さてここで私はおおよそ2週間前くらいから恋に落ちてしまった。相手が誰かどんな人かなどは一切書かないのであるが、恋に落ちる、というのは実に言い得て妙で、片思いの恋なんかしてしまったらもうその日から人生どん底に落ちてしまう。恋とはつまり地獄に落ちて来いというのが語源なのだ。嘘だ。まったく世には恋愛ソングだの恋愛ドラマだの恋愛小説だの恋愛まんじゅう・こけし・キーホルダーだのが溢れているが、恋をしてしまったならば歌など書いて発表している場合ではなく直ちにかかりつけの心療内科に相談しにいかなければならない。

 以下に恋なんどという憎らしい異常な心理現象の害毒を述べる。

一、集中力の低下

 恋をすると想い人のことばかり考えてしまい他の事は手につかなくなる(足にはつく)。授業中だろうが睡眠中だろうが加持祈祷中だろうが等しく想い人が思考の中に乱入してくる。はた迷惑であるからさっさとどっかに行ってほしいのだが脳内でぶぶ漬けをふるまってもなかなか帰ろうとしないのだ。これではいくらぶぶ漬けを作っても足りないから米不足と水不足が発生して日本が滅びるであろう(佐田介石リスペクト)。

 そんなことより授業に集中できないというのは学生にとっては致命的である。ことに私の大学においては良い成績とは悪い成績よりも大事といっていいほどみんなが追い求めているものなのだ。まあ私が進学しようとしている学部学科は点数があまりいらないようなので1つ、2つ、255つくらい可をとろうが問題はないが、それにしたって授業をちゃんと聞かなければ汗水たらして血を吐きながら授業の準備に精を出してきた先生方が浮かばれないであろう。現に私が出席しているすべての授業において先生は床に足をついており浮揚している方など一人もいないのだ。

 また、創作のアイデアも浮かばなくなる。平常時には湯舟や布団の中でぼーっとしているとたまに何かしらの変なアイデアがモクモク湧いてきて書く気がムクムク起こり、ズカズカと机に向かってノートにアイデアをパカパカメモっていたものだが、恋(それも片思い)をしているとナカナカそういうことが起こらず、考えるのはあの人のことばかり、書きたくなるのもこの辛く苦しい恋のことばかり。ふざけてはいけない。

二、心身が病む

 これは恋の最もゆゆしき問題であるが、シンプルに心が病んでしまう。恋をするといろいろな悩み、特に想い人に関連する悩みが増幅され、私の心をじょじょにすり減らし最終的には衰弱死してしまう。今回は○○○○○○○○(有料会員になると伏字の中身をご覧いただけます)ということで病んでいるし、前回は日本の政治を憂えて病んでしまった。病むと文章を書く気が起きるので一見いいことに見えるが、実は病むと気分が落ち込んでつらいということはあまり知られていない。今回は落ち込みが文章執筆欲を上回り、授業の課題以外何もやる気がしていない(新聞の仕事もやる気があまり起こらず、部員の皆さんに対して大変申し訳なく思っているため、1日5回決まった時間に部室の方角に向かって土下座をしているのである)。今こうしてnoteを書いているのは天文学的確率で起こる奇跡であり、宝くじが外れるより珍しいことだ。

 また体調も悪くなる。なんだか心臓がバクバクして不愉快だし、吐き気もする。食欲もなくなる。しかし今回は食欲もあるし吐き気もあまりしないし生きている心地もあまりしないのでそこはよかった。

三、想い人に思考や言動が支配される

 これは今回はあまり見られず前回見られた現象であるが、自分の望む自分らしい言動をするよりも想い人に気に入られようとすることを優先してしまうのか思考や言動が変化する。仮に想い人が宣伝カーをブイブイ乗り回すような右翼であった場合、授業中に突然「トンヤレ節」や「父よあなたは強かった」を歌い出して先生に追い出されるかもしれない。

 一方で前回は想い人が英語の勉強を頑張っていたことにより私の英語のモチベも上昇したためこの支配は良い結果も悪い結果ももたらすといえるが、なにやら自分が自分でなくなる気がして気持ちのいいものではない。

四、相手に迷惑がかかる

 私なんどという気色の悪い人間みたいなものに恋されては向こうとしてもたまったものではないというか商売あがったりというかとにかく絶望であろう。好きですと伝えればたちまち嘔吐して体中の水分がすべてなくなって干からびてしまうに違いない。これを応用して、たとえばビーフジャーキーが食べたいが家に1頭の牛しかいなかった場合、好きですと伝えるだけで瞬く間においしいジャーキーとなり果ててしまう。そうなれば私は乾物工場に引っ張りだこで「好きです」と言っているだけで手間賃がもらえてやがて大金持ち、日暮里舎人ライナー沿線の一等地に25565坪もある好きです御殿が建つであろう。ところが恋愛感情がなくなれば御殿はたちまち呪いにより燃えつきてしまうに違いない。だとしたらこのまま恋していたいものだが。

五、相談がまともにできない

 多くの人々は恋愛を経験するよりも前に恋愛ソングや恋愛ドラマや恋愛小説や恋愛に行ってきましたクッキー(チョコクランチの場合もある)を摂取して「恋愛とは楽しくてうれしくてハッピーな良いものである」という誤った(※個人の感想)価値観を刷り込まれてしまっており、私が「恋をしてしまって辛い」と相談しても茶化されたり、「よかったね」などと言われてしまったりするのである。頼みの綱の心療内科の先生に相談しても「若いうちにしかでいない貴重な経験なので…」というような講釈をぶたれてしまった。茶化されるよりかは幾分かマシであるが、そんなことを言われても今が辛いのは変わらないしうまい棒の値段も10円で変わらない。

 とはいえ、人に相談したとて恋心がおさまるものでもないので、相談ができなくても別に良いのかもしれぬ。しかし人が真剣に悩んで病んで死にそうな思いをして全身の穴という穴から血と涙を噴き出しているのに「よかったね」「人の恋バナ聞くのおもろすぎる」とは何事か?普段は親しく付き合っており今でも信頼している友人であるが、これを言われた時ばかりは「もう誰も信じない」状態になったものである。全然「よかったね」ではない。確かに恋愛時の感情の高ぶりは異常で特筆すべきもので、加えてさらに人生において大事なことらしいから創作物の題材として適しているのは分かるし、そのような創作物を悪とみなしたり否定したりする気は毛頭ないのだが、それにしたって皆が皆そのような創作物を喜び喜んで摂取して、恋愛は良いものだとありがたがるのはどうも不思議なのである。刷り込みとは恐ろしいものだ。

たとえうまくいったとしても

 お前がモテなくてだらしなくて告白しても相手にされないからそんなことを言っているのだろう、と言う人やオシドリやカイツブリもあるかもしれないが、実は私は前回の恋においてあなたに恋愛感情を抱いていますと告白したがLINEをブロックされず、(双方の希望で付き合うには至らなかったものの)それなりに仲良くなり週6くらいでLINEを送りあったり何回か二人で遊びに行ったりしていたのだ。しかしだがしかし仲良くなって以降も私は恋に苦しんでいたし、この恋を早く終わらせたいと願ってやまなかったのである。確かに一緒にいる時間は天国のように幸福なものであるがそれ以外の時間は一・二・三・五で述べたような(四は当てはまらないことが告白後にわかった)地獄だったからだ(純粋に片思いをしている今のような時期よりは幾分かマシだったかもしれないが)。あの時には毎日鬱りまくり、恋なんてもう二度としたくないと何回も嘆いたものだったが、私のタワケな脳は意志とは関係なく勝手に許可を得ずに無断で新たな恋をしやがったのである。

 そんなわけで、私にとって恋とは嫌悪すべき対象でしかないのだ。特に良い結びの言葉が思いつかないのも恋愛感情のせいということにしておこう。

※恋愛というデリケートな話題を書くにあたってしかるべき配慮ができているか自信がありません。何か不適切な表現等あればご一報ください。


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