【観劇メモ】『モアー・ダンディズム!』を観る

 宝塚大劇場で上演中の星組公演『柳生忍法帖』と『モアー・ダンディズム』を観た。9月24日と10月5日の2回の観劇をもとに感想を記す。『柳生』の方も感想をアップする予定であるが、こちらの方がとにかく早く書いてしまいたかった。

 本当に美しいショーで、夢中になってみてしまった(ので、途中で記憶が飛んでいるところもある)。私がこれまでみてきたショーの中でほとんどベストワンである(ほとんどというのは、紅ゆずる退団公演の『エクレール・ブリアン』が私の中で殿堂入りしているからで、これだけはどうしようもない)。
 
 プロローグ。最近のショーの多くは、開演前に緞帳が開き、ショーの世界観を示すキラキラのタイトルロゴが現れる。ここでスマホを取り出し記念写真を撮るのが、近年の多くのファンの習慣になっている(注)。しかし今回は、礼の開演アナウンスと音楽が先行し、開演まで緞帳は閉じられたままである。

 緞帳が上がると、明るい照明に照らされて、青、緑、オレンジ、黄色の衣装を着た男役娘役たちが登場する。男役はスーツを着て、娘役はジャケットにスカート、どちらも揃いのソフト帽を深めに被っている。男役はもちろんカッコいい。スカートをひるがえしながら踊る娘役もまた、“ダンディズム”というテーマを体現するカッコよさだ。大階段の一番上から舞台前面まで、スターたちが勢揃いする。舞台の奥行きと立体感が強調される。和物ショーのときの「チョンパ」に匹敵する効果を生んでいる。

 このプロローグの群舞だけで完全にもっていかれてしまう。みながだいたい同じ衣装を着ているために、こうした場面では個体識別が難しい。適宜オペラグラスをのぞいて確認するのだが、群舞の面白さを味わうために全体を見たい欲求と、個別のスターの演舞を見たい欲求とがせめぎ合い、いつも困ってしまう。だからこそ、何度も劇場に足を運んでしまうのだが。

 プロローグの群舞のあと、愛月ひかるのソロに移る。小椋佳の「思い出は薄紫のとばりの向こう」を歌う。いわゆる“フォークソング”のカテゴリーに入ると思われる、耳馴染みがよい曲である。しかし、光に照らされ、ほとんど白にもみえる薄紫のロング丈の衣装を着た愛月が歌うと、なにか別の世界からやってきた超-人間(ウルトラマンのイメージではない、念のため)からのメッセージを聴いているような不思議な印象を受ける。

 つづく「ミッション」の場面。全体としてノスタルジックで穏やかなシーンが多いこのショーにあって、この場面だけテンポが早く、ドラマティックである。謝珠栄の物語性のある振り付けは、お芝居のように各演者に役割が与えられているが、同時に群舞としての面白さも際立つ。小澤時史の音楽も新鮮さを感じる(後で確認するとかなり若手の作曲家のようだ)。
 この場面では背景にプロジェクションが導入されていて、それも効果を上げている。宝塚でも近年、こうしたプロジェクションが多くの演目で導入されている(『柳生』でも使われている)。だがしばしば、映像の効果だけが浮き上がってしまい、演者らの芝居とパフォーマンスと釣り合いが取れてないように思うことがある。ここでの使用は抑制が効いていて、生のパフォーマンスと映像とのバランスがよい。

 このあと、娘役たちがつば広帽子を被って歌い踊る場面が挿入される。つづく「キャリオカ」への橋渡しであり、いわば贅沢な“箸休め”となっている。

 中詰にあたる「キャリオカ」は、見所の多いこのショーの中にあって白眉といえる華やかさである。まず、舞台上に設置された階段の上に礼真琴が登場する。このときは装飾のない黒燕尾を着ている。つづいて登場する男役たちもみな無地の燕尾で踊る。突如、それまでの楽曲の中断を告げる長く強い和音が何度か鳴り響く。和音の合図にあわせて淡いピンクのドレスを纏った娘役らが舞台袖から中央に向かって一斉に登場する。中央の二人(音波みのりと有沙瞳)は淡い水色の衣装を着ている。舞台が一気に華やかになる。シンプルであればこそ生まれるコントラストが効果を上げている。アレンジを変えた「キャリオカ」のテーマが再び流れ出し、娘役の群舞がはじまる。男役群舞のときより娘役群舞のときの方が音楽がややダークでアダルトなアレンジになっている。華やかで甘いピンクの衣装とコントラストをなしていてとてもカッコいい。

 舞台中央がせり上がり、アーチ構造の橋が登場する。橋のアーチをくぐって、二手に分かれた娘役と男役が登場する。その間からトップコンビが登場し、男役・娘役による群舞が繰り広げられる。このとき、男役は装飾入りの燕尾に着替えて登場する。橋の上、舞台上、舞台いっぱいに男女が踊り戯れる。もはやどこをどう見たらよいかわからない。舞台中央にスターたちが勢揃いし、この場面が締め括られる。夢中になって手拍子しながら参加してしまう。

 つづく「ゴールデン・デイズ」は、今回で退団する愛月を中心とした場面。白い軍服姿(イメージとしては『うたかたの恋』のルドルフか)の愛月に目が釘付けになる。

 暗転の後、暗めのスポットが舞台中央を照らすと、ストライプスーツの二人組(瀬央ゆりあと綺城ひか理)がタンゴを踊っている。ここから『ダンディズム!』シリーズを代表すると思われる「ハード・ボイルド」の場面が始まる。男役中心の場面であるが、今回で退団となる二人の娘役(紫月音寧と夢妃杏瑠)がタンゴのシーンで相手役をつとめている。
 以前、花組による初演バージョンをYouTubeか何かでみて、あの特徴的な振りのダンスに痺れてしまった。昨年、凪七瑠海主演の『パッション・ダムール』を配信で見たときに、この場面が再現されていてうれしかった。そのため今回、生で見られることが非常に楽しみだった。
 期待に違わぬどころか完全に期待以上で大興奮してしまう(こちらまで勝手に身体が動いてしまうのを抑えるのに必死)。表情、目線、足の上げ方、動きに応じた髪の乱れ。すべての表現が過剰で過激で、たまらなく魅力的である。とくにセンター付近で踊る漣レイラ、瀬央ゆりあに目が引かれる。

 「ロケット」は、ダルマの上に金色のキラキラのジャケットと帽子を身につけた組子たちが踊る。いつも思うのだけれど、宝塚の「ロケット」のシーンでは、男役は男役の化粧のままなので、足を出していてもやはり“男らしい”ところがある。見慣れてくると違和感を覚えなくなる。今回の場合、ジャケットと帽子姿が凛々しく、みな“ダンディズム”のテーマを体現している。

 「テンプテーション」は一転してラテンショーの趣。頭にバンダナ?を巻き、鮮やかな赤い衣装で男女が踊る。いったん幕が下がり、瀬央が一人で登場し銀橋を渡りながら「ラ・パッション」を歌う。ここまでの盛り上がりを一身に受け止めフィナーレへと橋渡しする大事な役目である。最近の瀬央はスターとしての風格が公演ごとに増していて、今回も十分に役目を果たしていた。

 つづく「アシナヨ」では、まず礼が歌って登場する。それを愛月が歌い継ぎ、礼と舞空によるデュエットダンスとなる。今回で見納めとなるトリデンテによる美しい場面である。トップ二人のダンスは、これまでいつも“アクロバット”と言ってよいくらい技巧的なものが多かったが、今回は落ち着いたオーソドックスな振りで魅せてくれる。

 「パレード」は、みなシルクハットを被り白一色の衣装で登場する(礼だけは装飾入りの煌びやかな黒の衣装で登場する)。ここに至るまで、色とりどりの衣装と装置が舞台を飾ってきたので、白に統一された舞台が異様に眩しく感じる。ここでもコントラストが効果を上げている。

 花組による『ダンディズム!』の初演が1995年であり、およそ25年前からつづくシリーズ作品である。新たな場面の追加や差し替えはあっても、テーマそのものは一貫しているし、音楽、振り付け、衣装、装置の多くは、初演時のものを踏襲していると思われる。“古くさい”と感じる人もいるかも知れないが、私のようなファン歴の浅いものからすると、そうしたところがかえって新鮮に感じられる。オールドファンには(たぶん)懐かしく、新参者にも強い印象を与える。これ以上望めない作品になっていると思う。


これはファンサービスというだけでなく、ファンらに写真をSNS等にアップしてもらい、後続の観客を呼び込む経営戦略的な意味もあるのだと思う。けれど今回は、舞台効果の方を優先していた。よい判断だと思う。初回の観劇時、周囲の観客の一部は、開演まで緞帳が上がらないことを不思議そうにしている様子だった。

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