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蕗ノート お月さまの体

3ヶ月ほど前、お風呂に入っていたらふと、
「体は人の本質」
という言葉が降ってきた。

にんべんに本…確かに。

漢字に気がつき出すと日本語の奥深さに気づく。
人の体は月でできている。



肝臓
腎臓
脾臓


太股



膀胱

胆嚢





背中
脂肪
胎児



皮膚

うーん。

見事に月でできている。
月の影響受けるってことかしら。

腰なんて月に要。

月が左にくるのってにくづきって言う。

にくづきって体の肉付きのことだよね。
なのにお月さま。やっぱり体はお月さまのよう。

汗も涙も血も尿も、濃度は海と同じぐらいらしい。
私は海なのかな。満ち潮と引き潮があるのかも知れないな。

なんだろう。なんで心臓と頭は月じゃないんだろうね。月心みたいな漢字でもいいと思うのだけど。

ヨガだったか気功だったか忘れたけど、昔先生に言われたのは気の入る場所(あ、なら気功かな)

頭頂部から気が出入りする
胸と丹田でとどまる。

そういえば脚や腕は月は着くけど、気の出入り口の手のひら・足の裏は漢字違うかも。うむむむむ。

日本語は凄い。
自然の中での出会い、気づきをどんな些細なものでも素敵な言葉にしてしまう。

例えば、桜が満開で、夜真っ暗な山形でも何となく明るいなと思ったらそういう言葉がある、花明かり。

例えば、雪の結晶が綺麗で見つめていて、お花みたいと思ったら六花、雪花と呼ばれていたり。

以前、内田樹さんが何かで日本語は優れた文化と書いていた。これがどうしても表現できないから新しい言葉が必要だということがほとんどない。

分からなくなったら言葉や漢字や熟語を調べてみようと思った。

年明けぐらいから万葉集を読んでいる。
同じように日本語を使って表現している奈良の時代の人々の感性がとても素敵でその感性と繋がっている時にワクワクするような気持ちになる。

いわばしる たるみのうえの さわらびの
もえいづる春に なりにけるかも

授業で和歌には枕詞がある、ということを聞いたことがある。いわばしるもそのひとつ

情景が浮かんでくる表現。豊かな想像力。
あかねさす には 日や紫が
からころも には 着る

が。

私はそれをずっと厳しいルールだと思っていたけれど、それはもしかしたら自然なことなのかもしれない。

自然の一部のわたくしと、大自然とが向き合ってこの一生。シンプルにシンプルに出来ている世界をお金や名誉や権力や何かがややこしくしている。

本質は体だとしたら
体に聞いてみる

次に心に聞いてみる

頭は最後に判断する

体にもそれぞれ役割分担があって、それぞれ役目を果たしている。

人の一人一人にもそれぞれ役割分担があって、そのままで生きていればその役割分担がお金が関わろうと関わらないとあるのだと思う。

心の奥からやってくるコレに気づかなくても
きっともう出会っている

やなせたかしさんは40代でアンパンマンを書いたそうだ。物事は早すぎも遅すぎもしない。きっと絶妙なタイミングでちょうど良く来る。

いつ、どのタイミングで始まるか分からないしずっと始まっているのかもしれない。

ちゃんとそれに気がつくためにはやっぱり体をしっかりさせておかないと、チャンスの神様に気づけないかも知れない。

ずっと引っ掛かっていること
必要とされること

きっとそれ。「私」を全力で生き抜くのだ。
それだけが「するべきこと」なのだろう。

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