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蕗ノート 100点が取れなくても

振り返ってみると、私にとっての2016年は30代、新たなスタートとキラキラに見せて、残酷な自分の30年と向き合う時間だった。
 
 
遠い遠い過去から昨日まで、そして未来まで私は私であり、私が出会った人、行って来たこと、選んできたものすべてが、ごまかしがきかないぐらい私なのだということを学んだ。
 
 
私小説のような蕗ノートをやめたらどうかという至極全うな話を頂いて、少し間をあけていたものの、今の私にはこれがあった方がいいのでひとまず復活してみた。
 

ずっと「何物かのひとかどの人間」にならなければいけないのだと思って生きてきた。
キラキラサクセスストーリーの溢れる「ベンチャー企業」や「地域おこし協力隊」にひかれた過去を振り返ると「何か」になるために必死だったんだなと思う。
 

3年間の任期も全うできず、定住も出来なかった。
今も厳密にはフラフラしている。

24歳➡夜逃げで半年フラフラ
26歳➡リストラでフラフラ
30歳➡なんとなくフラフラ
 
で気づいたのは、死なないためには
無理な目標(100点)を目指してはいけないこと

無理な目標(100点)がとれなくても生き延びること
 
 
目標達成出来ず、あるいは期待に答えられず、音信不通になった友人が少なくない人数いる。
 
 
振り替えれば、どこにいても私が出来ることは30点をとることだった。
30点でもいいって思えたら、無茶な目標も立てなかったけど(そして誰かに無理な目標を強いられた訳でもないのだけど)
何かに煽られている感じがするのだ。近所・職場・学校・家族・自分自身などなど。

良く考えたら、別に100点を取らなくなって私は遺伝の法則とか百人一首が大好きだ。
 
 
自分が無理しないで届く所にまず手が届かなければ、自信を失うだけなのに、それは例えばさかあがりが出来ればいいのにオリンピックを目指してしまうような、出来ない所にばかり手を伸ばして出来なかったを繰り返す。
 
 
15歳の時に、100点満点君が、たった一度のマイナス点でこの世から去った。
そんなことが、今も私の身近な人に起こっていた。2016年。

 
100点を取れなかったからと言って思い詰めないこと。ダメな私と思っても生き延びること。

自分を責めすぎないで今できる一歩を探すこと。

身近な人に先立たれると、自分も身動きが取れなくなる。そんな時、とりあえず「明日を迎える」ことだけが先決だったりする。
 

私の大好きな人の言葉。 
今持ってるものをさ、大人になるってさ、上手に忘れたりさ、上手に置いていったりすることだと思ってたから、そのまま持って大きくなれないっていうの、無くすのが怖かったわけ。だけどさ、持っておけるわけ。それも言いたかったわけさ。だから大人になるのさ、怖がらないで欲しいと思った。なんでかって言ったらさ、持っておこうと思ったらさ、持っておけることがいっぱいあるしさ、忘れないでおこうと思ったら、忘れないでおけることいっぱいあるわけさ。」

大人でいながらに子どもでいれる。
私にとっての人生のとりあえずの目標はそこで、ひとまずそこに到達出来たのではないかと思えることが増えた。
 
 
人生の目標は、人それぞれに違うことを知った2016年。
2017年は、もっともっと、自分を生かしきるために、何ができるかを自分に問いたい。
 
 
ありがとう太陽さん
ありがとうお月さん
ありがとう海
ありがとう山
生き延びていきのびたら、あなたが見られなかった景色が見えるかも知れないと思って、私は今日も生きています。

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