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招きの声が来た時がその時

1対1サービスをやりたい、と言っていたら、ひょいっと講演についての相談が舞い込んできた。

友人として個別に話しており、以前からちょこちょこ相談に乗ったり話を聞いていた人からの、いつも通りの何気ない相談。
なのだが、今回は自分の受け止め方が違った。

なんというか、「あ、これちょっとタダで自分の時間使って応じるのしんどい」っていう瞬間的な体感覚。

と同時に、
「お前そんなせこいこと言って、友達だろ?仲間だろ?」
「自分のことはさておき、人のことをやるのが美徳だろ」
「見返りを求めるなんて心の狭いやつだ」

みたいな声がワッと来て、うっとなる。

でも、もう一度文面を読んでみても、やっぱり胸の奥の方がしんどい感じ。
自分を削る感覚がある。
多分その奥には、自負やプライドや、大切にしているものがあるが故の。
まさに「自分」を削るか否か、という選択ということなのだろうな。

相手が友達だからこそ、この感じを置いてけぼりにしちゃいけない。
自分の違和感を無視して応じ続けたら、多分相手からの無邪気な連絡とか質問とかのたびに胸の奥がザワっとなって、見るのがだんだん嫌になったり億劫になっていきそう。
そして相手に言えない自分とか、自分の違和感を棚に上げて、相手に八つ当たりしたり「失礼だ」とかレッテル貼りをしていく気がした。

これはだめだ。
俺、この人とこれからも友達でいたいもん。大事なんだよ。

そのためにも、仕事の範囲を自分で線引かなきゃだめだ。

世界に自分のギフトを分かち合っていく上で、それをただ垂れ流しにしてたらダメだ。
何より自分自身がプライドとリスペクトを持って、自分と自分の持ち物に敬意を持って接すること。
それをして初めて、他者からも丁寧に扱ってもらえる。そして丁寧に扱われた仕事が、ちゃんとその光を放ち始めるはずだ。

あぁ、成長したなぁ俺ってやつは。。
自分と他者の持ち物の違いがわからない、所有の概念がわからない、と思っていたのに。
あ、いや、これは所有って感じではないな?自分が大切にしている価値観とか、見たい世界とか、自己存在の中心点であるハートに関わってくることなんだ。だから大切に扱いたいし扱って欲しいんだ。
これが、自身の権威に立つ、ということなのかもしれない。

ちゃんとバウンダリー(境界)を示すことで、「仕事仲間」であり「友達」であるという複数のロールを抱えられるはず。

俺のハートを込めたものをどう扱うのかの、ロールモデルを俺から示さなきゃ。

こうやって、きっかけをくれるんだな。
宇宙は本当に優しいし、俺が俺を生きていくことを、いつも応援してくれている。

ハートマインドの声に従うことは、宇宙の喜びにつながる。

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