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健全な自尊心の発達ゆえに

今日はイラッとしたなぁ。

こどもへの講演をやった直後に、大人の決めつけや偏見にドーンと出会うと、なんでやねん!!!!とイラッとしてしまう。

つーか最近なんだ!?
チャレンジが来まくってないか!?
プロセスが俺にめっちゃ色々教えてくれてる気がする。。
『リスペクトが足りない』って感じで。

なんとなくそれに関連して思うこととして、最近、講演先で「話上手ですね」と言われることに違和感を持ち始めた。

違和感が何を言ってるのかと耳を傾けてみると、
・10年以上やってるからそりゃある程度は話せるよ
・毎回おんなじスライドは使わず、対象に合わせて話せるように準備してきてるからだよ
・いやいや、講演家や研修講師、そして先生にそれ言うかい??
・これもマイクロアグレッションじゃね?

とか、割とムカついてることに気づいた。

おお、俺キレてるなぁ。
誰に言っていんだい、どんだけ準備してると思ってるねんって怒りたくなってる。

気持ちはニーズの守護神。(最近、お知らせというには優しすぎる気がして、感情はニーズの守護神なのではないかと思っている)

なので、怒ることで何を守っているのかと探ると、プライド、誇り、そして陰の努力や情熱を、ないことにされているようで守ろうとしているのだと気づく。

人前で話すのは決して得意じゃなくて、
早口でもごもご話す自分の話し方も声も上等だとは思っていない。
だから昔は、「お話、上手ですね!」って言われるのは純粋に嬉しかった。

それが最近はイラっとするとな。
講演にプライドを持つようになったのだな、成長したなぁとしみじみとする。

怒りもいろいろあるけれど、自分を守ろうとするための健全な自尊心の怒りは、とてもエネルギーが湧いてくる。

俺は俺のこと、全然バカにしてないんだね。
「こいつを誰だと思ってんだ」と、俺に対して俺が情熱を持っていることに、なんだか感動した。

と、ここまで自分をじっくり認めると、なんだか新しい視点も出てきた。

多分だけど、学校にはゲストとして外部から人を招いて話を聞くシーンはたくさんあるのだと思う。
もちろんその人たちも色々だから、ゲストという観点で見た時に、俺は話せる方なんだろう。

でも俺のアイデンティティは講演家だから、話せて当然、それが自分の仕事だと思っている。というか思えるようになってきた。

そういう、自己認識と他者の目のズレが、こんな感じになってるんだろうな。

これは、特に大人向けに講演を行う上では、自分が自分を扱っている丁重さを表現していく時期にきているのかもしれない。
内面にあった外見や振る舞い方でもって、俺の扱い方を、周囲に伝えていく必要があるのかも。

講師だからと過剰に持ち上げられるのも心地悪いが、軽く扱われたり見られたりするのはもっと困る。
うむむ、探求は続く。。


散々書いたが、今日のは文脈とかニュアンス的になんかリスペクトを感じなかったんだよな。
「若いのにやるやん」的な。

若く見えるからなのもあるが、初見でカジュアルに下に見られるの、ほんと自分で許しちゃダメだな。

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