見出し画像

ただ共にいるということ

医師5年目の頃、終末期におけるスピリチュアルペインに興味を持っていました。(今もですが、当時は特に)

深く関わった50代男性のお看取りを通して受けた悲しみを、当時の僕は受け入れられませんでした。
詳しくはこちら https://note.com/fukudayukihiro/n/n7e19a07a039a

僕は、ちょうど同時期に、Nさん(仮名)という女性を担当していました。

ちょうどNさんは疼痛も強く、ゆっくり話すことができない状態だったので、あえて踏み込んで関わりませんでした。

穏やかに過ごしたいという患者さんの希望に添えていないことが悔しかったのを覚えています。

そして、痛みをコントロールすることができない自分に、無力感を感じていました。

僕は、Nさんと過ごす時間が苦しかったのです。

何もできなくて、申し訳ない。

力になれない自分がもどかしい。

そんな葛藤を抱えながら、しばらくの間、医師としての関わりだけに徹していました。

人と人としての関わりからは、距離を置いていました。

役に立つことができない自分から、目を背けたかったのかもしれません。

しばらくして、僕は、50代男性のお看取りによって生じていた悲しみを受け入れることができるようになってきました。

それは、喪失感は大切に思う気持ちがあるからこそ生まれてくるものだと、受け止められるようになったからです。

ある程度、時間が必要だったのかもしれません。

そして、ちょうどそのタイミングで担当の病棟を移動するため、Nさんの担当から外れることになりました。

僕は、Nさんの担当から外れることに、心残りがありました。

Nさんとの心の距離を縮めたら、また喪失感が大きくなる。

けれど、時間があれば、ちゃんとそれは癒されていくはずだ。

だから僕は、一人の人間として、Nさんとしっかり向き合う覚悟を決めました。

Nさんは、小説や映画だけでなく実際の人間のストーリーが好きでした。

なので、僕は、自分が医師になった経緯や、将来についての話もしました。

残された時間が少ない人に、自分の未来のことを話すのはどうなんだろうかという戸惑いもありました。

でもNさんは、僕の話を楽しそうに聞いてくれました。

そしてNさんは、自分が病気になってからの想いを語ってくれました。

後悔はない。
やりきった。
あとは安らかに死にたい。

そんな想いに触れることができました。

僕は、
ある患者さんを亡くして悲しみにとらわれていたこと、
そのことでNさんと話すことができなくなっていたこと、
でも今は、悲しみはその人の存在が大きかった証であり、悲しみそのものは悪くないのだと思うようになれたこと、
正直に、自分に起きたことを伝えました。

だから、Nさんにその時がきたとしたら、とても悲しい。
でも、それは自分にとって、Nさんの存在が大切なことの裏返しだと思っている。
そう、伝えました。

もしかしたら、こんなことを伝えるのは、賛否両論あるかもしれません。

でも、Nさんはこう言ってくれました。


「最期に先生に会えて、先生が担当してくれて、本当によかったです。」


僕は、その言葉で、自分の存在そのものを、認めてもらえたように感じました。

そして、Nさんの前で、涙を止めることができませんでした。

医師としては、あまり役に立つことができなかったはずの僕を認めてくれた。

本当は、もっと痛みをどうにかして欲しい、そんな気持ちもあったと思います。

それでも、Nさんは、僕が担当で本当に良かったと言ってくれました。

僕がした行為に対してではなく、ただ共にいただけの僕をNさんは認めてくれました。

もしかしたら、ただ共にいることって、実はそれ自体がとても尊いことなのではないでしょうか。

誰かの役に立つことのできる自分は価値がある

優秀ではない自分には価値がない

僕は今でも、こんなことを感じることがあります。

まだ、足りない。

もっと、誰にも負けない自分にならないといけない。

もっと、もっと、もっと。

役に立つことのできない自分なんて価値がない。


いつしか僕は、そんな自分にしたのは、父の育て方のせいだと、父を責めていました。

僕が、もっと父に愛されたかったと思っていることは事実です。

僕の心の奥には、父の愛を欲している、寂しがりの自分がいます。


でも、ちょっと待て。

父は、生きている間、一緒にいてくれたじゃないか。


足りない。

もっともっと、愛して欲しい。


でも、もしかして、そこにはあったのかもしれない。

受け取れなかったと思っていたものが、あったのかもしれない。

ちゃんと、父は、僕を愛していたのかもしれない。


家では厳しいのに、外では優しい父が好きでした。
力強くたくましい父が好きでした。
なんでも知っている父が好きでした。
将棋の強い父が好きでした。

天邪鬼で、意地っ張り、頑固で短気、そんな父が、簡単にわかりやすく僕に愛を伝えるなんてことをするはずはない。

富山大学の恩師が、Facebookのコメントでこんなことを書いてくれました。

「先生はきっとお父様からの深い愛情を受けておられたと思います。親の愛情を知らずに育った人が、福田先生のように立派な社会人に成長することはそうそうないと思います。」

ない、ないと思っていたものは、

ちゃんと僕の中に、ある。


心の奥の、父の愛を欲している、寂しがりの自分。

そんな自分が消え去るわけではありません。

でも、ちゃんと、ある。


僕は、愛されていた。


このことにつながったとき、僕の心は震えました。

心の奥の、愛を欲しがる寂しがりの自分はまだいます。

そんな自分とも、ただ共にいればいい。

そして、

大丈夫、愛はちゃんと自分の中にあるよ。

父は、僕を愛してくれていたよ。

そう伝えてあげようと思います。

最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

きっと、あなたの存在も、ただここにいるだけで、誰かの大切な存在になっていると思います。

メルマガやってます。noteよりも少し本音が漏れでます。
https://resast.jp/subscribe/133210/1410529


noteでサポートいただいた金額は、必ず違う誰かにサポートいたします。