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倭国に関わる下調べ(年始の旅の準備)

自身が今ここに居る存在理由を探求しはじめた2023年となりました。はじめに文献として残る古事記に当たりました(原典を読み解く力がなく解説書など読み漁りました)が腑に落ちず、より古い時代に遡る遺跡などを見極める必要があるとの認識に至りました。本能的に興味惹かれるままに日本の遺跡探索を試み「自然神との対話の足跡」と題したnote(20本ほど)を残してきました
教えられてきた歴史教科書、現存している古事記などの文献に対して、私の感じた(腑に落ちなかった)違和感は、この数年のコロナ禍に覚えた違和感と全く同じものでした。一方で、山、川、海などの自然と私たち祖先が向き合って残した遺跡を実際に観察する限り、巷に溢れる情報や残されている文献は私が現地確認した遺跡が語る内容とは異なっているようでした。
倭(やまと)国に関しても、今年(2023年)私が阿波を巡る旅の中で気付いてきたことを「自然神との対話の足跡」に書き留めましたので、邪馬臺国阿波説の理解を少し深めることができると思います。
こちらの記事では歴史学者の通説である邪馬台国の畿内説と九州説について、実際に現地探索する前の下調べ(お勉強になる復習)を残しておきたいと思います。

畿内説の復習

邪馬台国畿内説の立場からは奈良県桜井市にある箸墓(はしはか)古墳が有力な候補地とされてきました。邪馬台国畿内説について、桜井市纒向学研究センター所長の寺沢薫氏が詳しく論証しています。

「この10年で発行された岩波新書や岩波講座の日本史は邪馬台国畿内説の著者が多い」との見解があります。御用歴史学者が唱える見解がこちらにまとまっています。

一方で奈良地域の古墳は規模は大きいものが多数存在していますが、副葬品などから見る限り邪馬台国に匹敵する出土品が未だ無いとの見解もあります。

九州説の復習

九州説の立場からは福岡県久留米市の祇園山古墳、佐賀県吉野ヶ里町の吉野ヶ里遺跡などがその有力な候補地とされてきました。ところが、吉野ヶ里遺跡の発掘調査を監修した考古学者の高島 忠平氏は少し違った見解を唱えておられます。

女王卑弥呼は、彼女を共立した国々の中のひとつの国の王であり、都とした邪馬台国ではなく別のどこかの国の出身である可能性もあるのではないか、つまり卑弥呼の墓は必ずしも邪馬台国にあるとは限らないのではないかという考え方になっています。倭国の中で勢力を誇った30余国の1つが不弥国であり、伊都国であったという考えです。
この考えと整合して、卑弥呼の墓を伊都国の平原弥生遺跡で出土した古墳であると唱えた人物が糸島市出身の考古学者であった原田大六氏です。伊都国は、倭国の形成前から奴国と同様に独自の外交を行い、中国や朝鮮半島から青銅器、ガラス製品、鉄器、土器など様々な物資を輸入していました。そして倭国の形成後も外交や交易の中心拠点として重要な位置を占めました。

九州説については、邪馬臺国=鷹羽國説を推す福永晋三氏の論証もあります。11回にわたるこちらの動画も見ておきたいものです。

年始の旅(予定)

年始の現地探索の予定がおおよそ決まりました。
12月31日(日)宮代→鳴門(鳴門泊)
1月1日(祝)初詣:大麻比古神社(鳴門泊)
1月2日(祝)新年のごあいさつ(鳴門泊)
1月3日(祝)新年のごあいさつ(鳴門泊)
1月4日(木)鳴門→糸島(糸島泊)
1月5日(金)平原弥生遺跡(糸島泊)
1月6日(土)吉野ヶ里遺跡(博多泊)
1月7日(日)博多→大阪(大阪泊)
1月8日(月)ホケノ山古墳、纒向石塚古墳、
箸墓古墳、橿原神宮など(奈良泊)
1月9日(火)明日香村、高松塚古墳(奈良泊?)
1月10日(水)奈良→宮代(宮代泊)

人生は宝石箱をいっぱいに満たす時間で、平穏な日常は手を伸ばせばすぐに届く近くに、自分のすぐ隣にあると思っていた……