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高校時代に投手転向も登板は1度だけ。芽生え始めた自信が福井で花開くか。

ワイラプインターンの松浦です。

選手インタビュー企画、「 #ワイラプ博物館 」の第20回の記事執筆を担当させていただきます。

この連載では、博物館のように選手一人一人の歴史が分かる場になればと思います。そして読者の皆様は、この博物館でぜひ選手の魅力を発掘してください!

今回は、松永忠 選手のインタビューです。

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松永忠(まつながただし) 1997年2月11日生まれ
西初石中学校▷土浦日大高校▷東洋学園大学


―松永選手、本日はよろしくお願いします!

松永:はい、よろしくお願いします。


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■キャッチャーとして野球に触れた少年期


―まずは、松永選手が野球を始めたきっかけを教えてください。

松永:2つ上の兄が野球をやっていてその姿を見て「面白そうだな」と思ったのがきっかけでした。小学1年生の11月ごろでしたね。

―どのようなチームでしたか?

松永:監督とコーチがとにかく怖かったです。(笑)
はじめは楽しくやっていたんですが、元プロの方の甲子園で優勝経験のあるような方がコーチにいらっしゃって。高学年からは怯えながら野球をしていました(笑)


―ポジションはどこをやっていましたか?

松永:5年生の初めはピッチャーをしていました。
それで県大会出場を決める大会で先発をしたんですが、めちゃくちゃ大乱調で…(笑) その試合以降は引退するまでキャッチャーでしたね。

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(小学校時代)

―次に中学の話を伺いたいと思います。中学は部活でやられていたのでしょうか?

松永:はい、ボーイズでやる実力がないと思ったので部活に行きました。
ポジションは、3年間ずっとキャッチャーでしたね。

―チームは強かったのでしょうか?

松永:チームはすごく強いわけではなかったですが、僕は千葉県流山市の市選抜に選ばれたので、かなりレベルの高い選手とも一緒にプレーしていました。


―すごいですね!その選抜での思い出は何かありますか?

松永:はい、ZOZOマリンスタジアムで船橋選抜と対戦したしたんですが140キロぐらい投げるピッチャーがいて「とんでもない化け物がいるんだな…」と思い知らされました。
あとは同じ市選抜、しかも同じキャッチャーに船越千紘っていう女子の方いて、すごく上手かったんですけど後に女子プロ野球の日本代表になっていたので、びっくりしましたね!

■運命を変えた投手変更への一言


―高校は県外(茨城県)の土浦日大に進まれたわけですが、決めた理由は何だったのでしょう?

松永:土浦日大の練習場の設備が良くて行きたいと思いましたね。
寮生活で野球に集中できるというのも大きかったです。


―なるほど、覚悟を決めて県外へ出たわけですね!高校ではどのような選手でしたか?

松永:自分で言うのもあれなんですけど、ポンコツキャッチャーでした(笑)
全然硬球に慣れることができなくて…けど肩だけは自信がありましたね。


―入学してからかなり苦労されたと思いますが、その後もキャッチャーを続けられていたのでしょうか?

松永:高2の秋大会が終わったタイミングで外部コーチの人にチームを見て頂く機会があり…。
そのときに「君はピッチャー向き」と言ってくださり、それからはピッチャーになりました。


―その一言が運命を変えたわけですね!キャッチャーだった頃はなかなか出場機会が無かったかと思いますが投手転向後はいかがでしたか?

松永:3年の春に1番をもらいました。夏は11番でしたね。ただ、高校野球の公式戦では一度しか登板できませんでしたね。
けど、ピッチャーになっていなければずっとベンチ外だったのかなって思っています。ですので投手転向は正解だったと本当に思います。


―試合に出られていなかった高校時代はどんなことをモチベーションに頑張れていたのでしょうか?

松永:「ただただベンチ入りしたい」という気持ちでやっていました。
当時の自身の実力を考えると、「プロに行くんだ!」というモチベーションは到底持てなかったですね。


―では次に大学の話を伺いたいと思います。大学でも野球を続けるというのはいつ頃から決めたのでしょう?

松永:ずっと高校で辞めようと考えていたんですが、最後の夏に一度マウンドに立たせていただいた時に「やっぱり野球を続けたい」と思うようになりました。そのときのマウンドは、心から野球が楽しいと思えました。


―東洋学園大に決めたきっかけはなんでしたか?

松永:兄がそこの大学にいたんです。創部4年で4部リーグから2部まで上がり、兄から話を色々聞いていく中で「ここなら試合に出られるチャンスがあるし、面白いチームかも」と思い決めました。


―試合に出られるというのが大きかったわけですね。

松永:はい、そこが大きかったです。実際に1年春から投げさせてもらいました。努力の点と点が繋がり、入学前の3か月で球速が8キロほど伸びて140キロも出るようになっていたんですよね。


―ものすごい成長ぶりですね!かなり自信はついたという感じですか?

松永:はい、2年生になってからも球速が5キロほど伸びました。外部から来た元プロの方にもすごく褒めて頂いて、その頃からですね。さらに上のレベルを目指すようになったのは。


―なるほど!その調子だと3年生以降も充実した大学生活を送れたのでしょうか?

松永:いえ、、それが3年で肘を怪我してしまい、、、まったく投げることができなくなりました
社会人野球のチームでやりたいと思っていたんですが、社会人に進むには3年生での活躍ってすごく大事なんですよね…。そんな中で自分はほとんど投げていなかったのですっかり自信を無くしました。


■今を懸命に生きれば自信はあとからついてくる


―そのような怪我があって社会人野球を断念されたという事ですが、その後はどのような経緯で独立リーグに進んだのでしょうか?

松永:4年生になって、「上の世界ではやりたいけど、実力が足りない」と思っていたんですが、復帰後の試合で投げたら147キロをマークすることができました。そこで改めて、上でやりたいと思うようになっていました。

けど社会人野球はもう時期的に厳しい。そんなときに、大学の外部コーチが福井の監督と知り合いというご縁があり紹介していただきました。
それでセレクションを受けて合格したという感じですね。


―独立リーグに進むという事に関しての迷いはありましたか?

松永:経済的なことも考えると、(野球は諦めて)就職し、安定した生活を送るべきなのかなとも思いました。親にも迷惑が掛かるという思いも正直ありました。


―そんな迷いの中で両親は松永選手に何か声をかけてくださりましたか?

松永:相談をしたら「やりたいところまでやりなさい」と言ってくれたので気持ち的にすごく楽になりましたね。背中を押してもらえてうれしかったです。


―入団して1年目(2019シーズン)を振り返ってみて、いかがでしたか?

松永:周囲のレベルが高すぎて、自分を下に見ていました。まったく自信が持てませんでしたね
とにかく身体の使い方を勉強した1年でもありました。


―かなり苦しまれたということですね。

松永「周りに迷惑をかけたらどうしよう」という思いが強すぎて、精神的な部分で全然投げることができませんでした。
フォームもぐちゃぐちゃになってしまって、負のスパイラルに陥ってしまったんですよね。


―精神的にも苦しかったと思いますが、初登板を果たした時はうれしかったですか?

松永:つきっきりで福沢さん(当時の福井球団投手コーチ、現監督)が指導してくださっていて、5月に初めて試合で投げることができました。「やっと投げられた」っていう安心感とともに、一番は福沢さんへの感謝の気持ちが大きかったです

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―今季は開幕が長引き、全体練習ができない時期もあるなど、モチベーションを保つのは大変ではなかったですか?

松永:グラウンドで野球が出来なかったのが一番しんどかったです。
ですがトレーニングだったり、ピッチングフォームを見直す時間にあてることはできましたね。


―良い時間になったと思いますか?

松永:自分にとっては成長できた期間だったと言えます。
日本中が混乱していて、潰れてしまうような会社もあることを考えると、好きな野球を続けられる環境にいられるのは非常にありがたいなと改めて思いました。
そういった考えを持つことができるようになったことを踏まえても、よい時間になったと思えます。


―最後に、ファンや独立リーグを目指す学生たちに伝えたいことがあればお願いします!

松永:スポーツでも勉強でも、周囲と比較することで自信を無くしてしまうという時が来るかもしれません。
でも、何か一つでも信念を持って続けていればいずれその気持ちが変わる時が来ます。
過去は関係ありません。今を生きて、思いっきりやってください。

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ー力強いメッセージをありがとうございます!自信に溢れた今季の松永選手のピッチング、注目しております!

(文責:球団インターン 松浦宙夢)

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