「蛙化現象」という言葉の「誰も悪くない、感」

蛙化現象…わずかなきっかけで好きな相手に対して冷めてしまうこと

Z世代に流行している言葉であり、30代半ばの自分には関係がないのだが、この言葉がなぜ流行っているのかについて考えた。

1.多様な「個人的冷めポイント」を包括

恋愛において、何かをきっかけに相手に対して冷めてしまうことは往々にしてある。
たとえば束縛がきついとか、マナーの悪さに気づいたなどは、わりと一般的な原因である。
これを理由に冷めた場合、第三者に話したとき共感が得やすい。

いっぽう、「とてもささいで、ほかの人からしたら気にならないようなことかもしれないが、自分にとっては許せないこと」というのもあるだろう。何が該当するかは人によるので、起きたことをそのまま人に話しても共感が得られにくい。

そんな「個人的冷めポイント」を「蛙化現象」と言い換えることで、「あ~、ね」と共感が得やすくなる。それぞれ具体的なポイントは異なるが、「そういうポイントって誰にでもあるよね」というコンセンサスがあれば、話はスムーズだ。
言葉が流行る以上、おそらく各々に思い当たるフシがあるのだろうと思われる。

「蛙化現象」という概念をインストールすれば、コイバナがスムーズに進む。

2.誰も悪くない、感

「彼のこういうところに冷めた」と表現すると、冷めるような行為をした彼に問題がある、または冷めてしまう自分が狭量であるかのような感じがちょっと漂う。
一方で、「現象」という言葉には、「なぜか起きてしまった」「どうにもできなかった」というニュアンスがあり、彼ないしは自分に非はないが…と暗にアピールすることができる。

会話における主語の気配を薄くする、という点では、数年前に流行った「わかりみが深い」とかも似ている。「私がわかる」のではなく、「わかりみがそこにある」という表現。衝突を避けつつ意見を伝える言葉は、これからも増えていくのかもしれない。

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