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優れた編集者は「引き算の技術」「割り算の技術」を持っている

興味のある情報であるのにも関わらず、その情報量の多さゆえにウッとなってしまうことが、たまにある。

今回は、優れた編集者は、そのウッを「引き算の技術」と「割り算の技術」で上手に取り除いているのではないか、という考察コラムである。

そもそも、そのウッの正体とはなんだろう。

例えば、長野県出身の私は、東京に初めて上京した時、景色の情報量が多すぎてウッ!!!となった。一つ一つの情報が新鮮でキラキラしていたからこそ、総カロリーの多さに脳がシャットダウンしそうになった。

その後、全ての情報になんて目を向けなくて良い、と割り切って何とかなっているのだが。

あと、それに似た気持ちが実家でもあって、ばあちゃんが出す飯が、結構そんな感じだったりする。美味いんだけど、多い。これは情報というか、単に飯の量だけれど。

つまり、一般化するとこういうことだ。「一つ一つの質は高くても、量が多すぎて、質を殺してしまっていること」が往々にしてある。これは非常に勿体ない。

だからこそ、メディアを扱う編集者は、読み手にとって余計な情報を削ぎ落とす「引き算の技術」が大事なのだと最近は痛感する。

引き算の技術

情報は、それ単体では文脈を持たない。情報を加工し、意味を持たせて言説にする。その言説を紡ぎあわせて、物語にする。そこに価値の拡張がある。

情報の編集者は、価値の拡張、すなわち「足し算の技術」と、その先にある「引き算の技術」を同時にやってのけなければならない。その二つを同時に出来てこそ、編集者であり、そこにシビれて憧れるのではないだろうか。

ちなみに、「足し算の技術」は比較的簡単だ。データを引用してきたり、修飾語を重ねれば、簡単に文字数を重ねることが可能だ。そこに高度なテクニックは要求されない。

しかし、「引き算の技術」はそうもいかない。文脈の中に本質を見出して、その本質の価値を最大化するために、適切に、余計な贅肉を削ぎ落とさなければならない。

誤って本質の部分を削ぎ落としてしまうと致命傷だ。文脈における、心臓や五臓六腑の位置を明確にした上で削ぎ落とす必要がある点で、「引き算の技術」には高度な観察力が求められる。

私が思う「優れた編集者」は、この「引き算の技術」がメチャクチャに上手い。更に言えば、診察のスピードも早い。「あー、ここが贅肉ですね」と、文章を流し読みするだけで分かったりする。

割り算の技術

ここからは「足し算」「引き算」からコンテンツ方面に発展した話をしてみたい。優れた編集者は「引き算の技術」だけでなく「割り算の技術」も持っているのではないか、という考察だ。

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