お盆の持つ「引力」と「意義」

何故、日ごろ忙しいと口にする人もお盆には、なるべく帰省しようとするのだろうか。

多分それは、具体的に言えば「お墓参り」をするなど、お盆というもの自体が、亡くなった先祖を弔うために行われる風習であるからだと思う。「生」と「死」。これ以上に大きく私たちに関係している二極はない。その中でも、最も強い影響力を持つ存在である「死」。クリスマスやお正月、ハロウィンや七夕、節分やバレンタインデー、1年の中に行事・イベントは数あれど、「死」というものが密接的に関係してくるのはお盆くらいじゃないだろうか。

「死」が持つ引力・エネルギーは圧倒的に強い。普段、何事もなくただぼ~っと生きている人も、九死に一生を得たり、突然愛する人が亡くなったりすると、急に自分の人生が経ち現れて「生」を見直すことになる。お盆は、基本的に家内や親戚で集まる。となると、自然、お盆では血の繋がりを意識する機会になる。自分は自分1人で生まれてきたわけではなく、父母、祖父祖母、果ては何十代も前の先祖の方々が命をつないできたからこそ、ここにいる、という当たり前だけれど「有り難い」ことを再認識し、凡庸に生きている日々を見直すことができる。命が有限であることを、先祖が亡くなっているという事実、家内が亡くなったその哀しみから深く胸に刻み込みんで、生きる糧にすることが可能なのだ。

お盆は家内と一緒に自分を見つめなおす機会だ。大切な行事だから、帰省にかかる「引力」もすごいのだろう。しかし、哀しくも、お盆になっても忙しくて帰省できない職に就いている人が沢山いるという。これから、そういう人がどんどん増えていくのではないか、という話も聞いた。「先祖を尊ぶ」だけじゃなく、「自分自身を見つめなおす」機会にもあると思うので、お盆には是非地元に、家族に帰ってほしい。きっと、待ってる人がいる。

P.S 死にまつわる話は、一人称がいつもと違って「私」になっています。一応補足すると、自分は男です。

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