見出し画像

ノブレス・オブリージュの精神で

ノブレス・オブリージュという言葉を知っているだろうか?フランスのことわざで直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」という意味になる。

元はフランス貴族に課せられた義務を表す言葉で、当時のフランス貴族はいろんな特権が与えられた反面、戦争になれば貴族が自ら率先して前線で戦うことが求められていたという。

今では「身分の高いものはそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務がある」という意味で、欧米社会における道徳観の1つになっている。

巨人の肩の上に立つ

このノブレス・オブリージュという考えは、身分だけに限らず知識においても同じことが言えるとぼくは思う。つまりは「豊富な知識を持つ人は、その領域において義務をはたすべきである」ということ。

義務といっても大したことではなく、例えば学問だったら初学者の質問に答えてあげるとか、趣味だったら初心者にアドバイスをしてあげたりとか。

知識が豊富な人もきっと、いろんな人や書物から学んで理解を深めていったはず。その連鎖を絶やさないよう、今度は自分が初学者に正しく知識を伝えていく立場を担う。

わざわざノブレス・オブリージュという考え方を引き合いに出さずとも、あらゆる進歩はこの繰り返しの上に成り立っているはず。

アイザック・ニュートンの「あなたが彼方を見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからです」という言葉はまさに言い得て妙だと思う。

その知識をどう使うのか

たまにSNSなどで初心者の小さな間違いをやたらと手厳しく批判したり、コソコソと身内同士であげつらっている知識人を見かける。

その人は発言を見る限り知識こそ広く深い。言っている内容もしごく正論なことが多い。こういう人はどの領域にも必ずいるものだ。

間違っていることは事実なので、その間違いを訂正してあげればそれで良いはず。

ただそういう人たちは初心者を蔑むことで、相対的に自分の立ち位置を高めようとするだけ。せっかく得た知識を、自己肯定感を満たすためにしか使えていない。これはとても残念なことだと思う。

あなたが彼方を見渡せるのは、ひとえに巨人の肩の上に乗っているからなのに。

足元を見てみよう

と、ここまで他人ごとのように書いてしまったが、決して自分も“あちら側”に行かないとは限らない。

自分が趣味の範囲で楽しむ領域なら、そういう人たちに対して「初心者に不寛容な人たちだな」と見過ごすことができるかもしれない。

でも自分がこれまで何年も積み上げてきた領域だとしたら?同じように見過ごすことができるだろうか。

昔ブログを始めて3ヶ月くらいの人が「月間1万PVを突破したぼくが、ブログの書き方を有料で教えます!」という内容のツイートをしていた。

その人の発言を見てもほとんどの情報は再現性がなかったり、まるで眉唾な情報ばかりだった。それを多くの人が、褒め称えているのである。

さすがにその時ばかりはぼくも密かに心の中で「何も知らない初心者のくせに、何言ってるんだろう」と思ったが、まさにこの時のぼくこそが「初心者に不寛容な人たち」になってしまっているのではないか。

「初心者に不寛容な人」というのは、自分が本気でその領域に取り組んでいる人と、趣味程度の感覚で入ってきた人が交わることで生まれるのではないかと思う。

自分が本気で取り組んでいて、ある程度その領域に対する知識も深いという自負があるときほど、初心者の間違いには寛容にならないといけない。ノブレス・オブリージュの精神で。

他人のミスを指摘したくなったら足元を見てみよう。きっとあなたの足元にもいるんじゃないかな、大きな大きな巨人が。

サポートも嬉しいですが、もし文章を良いと思っていただけたらアカウントをフォローしていただけると更新の励みになって嬉しいです。