平岡 雄太

テックやファッション、写真が好きな30歳。普段はYouTubeクリエイターとして活動し…

平岡 雄太

テックやファッション、写真が好きな30歳。普段はYouTubeクリエイターとして活動しています。日々の生活の中で心が動いたことを文章にしていきます。YouTube:https://www.youtube.com/channel/UC7P3bmkbTdAXaJYzhuF2obA

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『要らない!』の声も「欲しい!」と同じくらい嬉しい理由

今日1月26日(火)14時からdripが1年以上掛けて準備してきたオリジナルバックパック「FLOORPACK(フロアパック)」のクラウドファンディングが始まった。 開始から15分で支援額1,000万円達成、そして1時間半で当初見込んでいた1,000個全てが完売してしまった。その後さらに1,000個を追加リターンで用意するものの、それも1日持たずに完売してしまった。 まずはFLOORPACKを支援、応援、関心を寄せていただいた方にお礼を言いたいと思います。本当にありがとうご

    • 【1月23日開催】世界中のFUJIFILMラバーと繋がる「#FUJIFILM生誕祭」を今年も開催します。

      大切な人の誕生日は自分のことのように嬉しいし、お祝いしたくなるもの。 でもそれは“大切な人”だけではないはず。“大切なモノ”やそれを作っている“大切な会社”の誕生日もまた、自分のことのように嬉しくてお祝いしたいと思ったことはありませんか。 そんな思いから始まったのが「#FUJIFILM生誕祭」です。 FUJIFILM生誕祭はFUJIFILMのカメラが好きな写真家の古性のちさんと一緒に、2019年から始めた「FUJIFILM好きによる、FUJIFILMのための誕生日祝い」

      • 去年と同じ、今年の抱負

        新年を迎えるタイミングで今年1年の抱負を決める。ぼく自身も当たり前のように長年やってきたことだが、最近はそうした考え方自体に少し違和感がある。 年齢や環境によって必要な心持ちは変わるので、1年単位で抱負を考えて意識するのは悪いことではない。だが少なくとも30年間生きてきて思うのは、本当に大切な人生に対する向き合い方は1年やそこらでは変わらないということ。 ぼくが生きる上で最も大切にしている姿勢は「努力」と「継続」。人生は努力と継続でしか良くすることができないと信じているし

        • 巨人の肩の上に立つぼくら

          ※このnoteは以前定期購読マガジンにて掲載していた内容を、一部改変して再投稿したものです。 SNSを見ていると、たまに初心者の小さな間違いをやたらと手厳しく批判したり、コソコソと身内同士であげつらっている知識人を見かける。 彼らは発言を見る限り知識こそ広く深く、言っている内容もしごく正論なことが多い。こういう人はどの領域にも必ずいるものだ。 間違っていることは事実なので、その間違いを訂正してあげればそれで良いはず。 ただそういう人たちは初心者を蔑むことで、相対的に自

        『要らない!』の声も「欲しい!」と同じくらい嬉しい理由

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        • 無料noteまとめ
          平岡 雄太

        記事

          理解できないものを排除する度に、ひとつずつ自分が不自由になっていく

          人にはだれでも好きなものがあるし、反対にその価値が理解できないものもある。 自分が理解できないものがやたらと褒めそやされていると、無関心ではいられないのが人の性なのかもしれない。 「あんなののどこがいいのかさっぱり分からない」 「どうせ流行り物だろ」 「にわかが騒いでいるだけ」 最初は文字通り無関心であった状態から、次第に無関心を装った排斥、最後には明確な排除を示すようになる人も出てくる。 それは自分が理解できないものを低俗だと判断し、それを理解できないとすることで自

          理解できないものを排除する度に、ひとつずつ自分が不自由になっていく

          情報収集効率の悪いYouTubeで発信し続ける理由

          今日Twitterでこんなツイートを見かけました。 ぼくは一応ブロガー(活字を届ける)としてもYouTubeクリエイター(動画を届ける)としても活動しているので、色々思うところがあり今日はちょっとそのことについて書いてみようと思います。 一部しのはらさんの意見とは反対の考えを持っているのですが、だからと言って「ツイートの内容に反論したい!」といった気持ちは全くありません。むしろ考えるきっかけをくださったことに感謝しています。 ここからは否定的な感想ではなく、発信側の平岡

          情報収集効率の悪いYouTubeで発信し続ける理由

          見せない“好き”の尊さ

          こんなことぼくが言っても説得力がないかもしれないけど、誰にも見せない・教えない好きなことを持っているのは尊い。 「毎日いそいそとYouTubeに動画をアップしているお前がなに言ってるんだ」という声が聞こえてきそうだけど、常日頃から人に見せることばっかりやってるぼくが言うからこそ逆に真実味があるとは思わないだろうか? 誰もがSNSを利用するようになるにつれて、世の中からニッチが消えた。どんなに細やかな趣味や喜びでも探せば同志が見つかるし、つぶやけば共感してくれる人が見つかる

          見せない“好き”の尊さ

          被写体じゃなく感情を撮りたい

          さいきん素敵だなぁと思う写真にはどれも被写体じゃなく感情が写り込んでいるように感じる。 写真として見るとブレてたりどこを写してるのか分からないんだけど、その1枚を通じて確かに撮り手の気持ちが表現されているような。 ぼくもそんな写真を撮りたいなと意識してみることがあるんだけど、これがなかなか難しい。 同じような写真を撮ること自体は難しくはないんだけど、頭で意識した瞬間にそれは“ブレ”とか“よく分からない瞬間”という被写体を撮るといういつもの自分の撮影になってしまう。 被

          被写体じゃなく感情を撮りたい

          頭抜けた才能がない人が抜きん出るための、(おそらく)唯一の方法

          今日はちょっと大それたタイトルを付けてみたが、誰にとってもこれが正解とは言わないまでも、ぼくの中ではかなり納得感のある方法論だと思っている。 頭抜けた才能がない人が抜きん出るための、おそらく唯一の方法は、 70点のクオリティを定期的に作り出せる型を確立し、ひたすら当たるのを待つ。 ことだと思う。 コンテンツの質は70点主義で“作品は諦めた時点で完成”という言葉がある。これは「中途半端なクオリティで諦めたらダメだ」という意味に取れると同時に、「諦めなければいつまでも完成

          頭抜けた才能がない人が抜きん出るための、(おそらく)唯一の方法

          満塁ホームラン1回よりも、ヒット7回

          自分の存在が人に知られていくのには2つのパターンがあると思う。 1つは満塁ホームラン級のコンテンツを出して、一気に世の中の人たちの注目を集めるパターン。そしてもう1つが、ヒットを積み重ねて少しずつ少しずつ人から認知されていくパターン。 どちらが優れているといった優劣はないと思うけれど、なんとなく世間的には前者のような人が注目されていることが多い。今も昔も人は「いかにバズるか」に興味津々だ。 でももしどちらかを選べるとしたら、ぼくは後者のパターンでありたい。 バズとはな

          満塁ホームラン1回よりも、ヒット7回

          ぼくが日々淡々と発信を続けられる理由

          このマガジンでも何度も話している通り、ブログやYouTubeなど何かを発信する活動はとにかく継続が重要だ。特別な才能があるならともかく、ほとんどの人は1日2日では思うような結果が出ない。 特にこれから何かを始めるぞという場合は、誇張ではなく1年スパンで物事を考えても良いくらいだ。そのくらい情報発信においてはとにかく継続がものをいう。 必然、日々コンスタントにブログを書いたり動画を投稿したりする必要があるが、これがなかなか難しい。この「日々淡々」のモチベーションが続かずに、

          ぼくが日々淡々と発信を続けられる理由

          感情は伝播する。ポジティブな感情の震源地になりたい

          人が持つ共感力の作用なのか、人の感情というのは思った以上に人に影響されやすい。 ぼくは特に共感力が強いタイプで、例えば駅で誰かが怒鳴っていたり、ネット上での炎上や痛烈な批判を見ると、その内容の是非にかかわらず自分の気分まで暗く沈んでしまうことが多い。 人よりも人の感情に左右されやすいからこそ言えるのが、感情というのは確実に周囲に伝播していく。強い感情であればあるほどその感情に触れた人を飲み込むだけでなく、同じような感情を持つ人を引き寄せる力がある。 例えば誰かがTwit

          感情は伝播する。ポジティブな感情の震源地になりたい

          短く書く意識

          最近は文章でも動画でも、表現においてはできるだけ手短に伝えることを意識している。 特にぼくはかなり多筆なタイプで、ついつい文章が長くなってしまいがち。 例えば「A」ということを伝えたいと思った時には、 B:導入・前提 C:一般論 D:具体例 E:エクスキューズ(反論) といったことをつい盛り込んでしまうので、最終的には「B→C→A→D→E」みたいな文章になってしまう。 多分これは学生時代に法学部で論理的文章を書くクセがついてしまっているからだと思う。主張を誤解・矛盾

          短く書く意識

          ノブレス・オブリージュの精神で

          ノブレス・オブリージュという言葉を知っているだろうか?フランスのことわざで直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」という意味になる。 元はフランス貴族に課せられた義務を表す言葉で、当時のフランス貴族はいろんな特権が与えられた反面、戦争になれば貴族が自ら率先して前線で戦うことが求められていたという。 今では「身分の高いものはそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務がある」という意味で、欧米社会における道徳観の1つになっている。 巨人の肩の上に立つこのノブレス・オブリー

          ノブレス・オブリージュの精神で

          「俺らって無敵だな」と思えるあの瞬間の幸せ

          「このメンバーでいれば、俺ら無敵だな」 中学生や高校生の頃、仲の良い友人といる時にぼくは心の中で密かにこんなことを思っていた。 気の合う友人といつもの軽快なテンポでバカ話をしたり、互いの将来について語り合いながら「それ絶対お前ならできると思うよ」と励ましあったり。 一緒にいるとたまにやってくる、その場の全員の思いがピタッとシンクロして、なんだかふわふわと心が高揚するあの瞬間。 そんな時にぼくはいつも「こいつらといると、無敵だ」なんて思う。 無敵とはいっても別に誰かと

          「俺らって無敵だな」と思えるあの瞬間の幸せ

          人から褒められたら◎、褒められなくても○

          人に褒められたり、誰かに認められたり、何かに選ばれたりすると嬉しい。 誰かから褒められたり、認められたり、選ばれたりすることは素晴らしいことだから、みんながその人を讃え、拍手を送る。 ぼくもそういう人には大きな拍手を送りたい。けれど同時に、隣で一緒に拍手を送っている“選ばれなかった人”にも拍手をしてあげられる人になりたいと思う。そして“選ばれなかった自分”にも。 褒められたら◎、褒められなくても○大人になったら、なんて前置きをするまでもなく、ぼくらは子供の頃から無意識に

          人から褒められたら◎、褒められなくても○