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ぼんやりと、いる -精神科デイケアの日常-

机の上の白湯からわき立つ湯気のように
ただぼんやりと座っている

楽しげに雑談に花を咲かせる人もいれば
難しい顔をしてサウナでじっと耐え忍んでいるおじさんのような顔つきをした人もいる

外では自動車が行き交う音がする
学校のチャイムが聞こえる
「世間ではみんな忙しく生活しているんだ。
それに引き換え、こちらは白湯を呑み呑みトイレに立つばかり」

あまりにすることがないと
禅の修行僧のようにふつふつ邪心が湧いてくる
「何のためにここにいるのか、
何か試されているのか」
イライラしてはいけないと、昨日久しぶりに再会した、野良猫のことを考えるようにした。
一頃前、よくウチに来て餌をあげていた野良猫が水たまりで水を飲んでいたのを見かけたのだ。
こちらは、太宰治の『津軽』にあったような太宰と乳母の感動の再会のような心持ちだった。
「心配させやがって、生きていたのか」
猫はこちらをしばし見つめると、覚えていないといった風に、ぷいと顔を背けて行ってしまった。
余計なことを思い出したと、またイライラした。
時計を見るとまだ1時間もある。

口にすると、白湯はとうに冷え切っていた。

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