見出し画像

Piano For Train (最終話) 復路:富士~熱海~東京~千葉

ここまでの話
Piano For Train (1)
旅の始まり~往路:京成小岩~上野~熱海
Piano For Train (2)
往路:熱海~沼津~島田~浜松
Piano For Train (3)
往路:浜松~豊橋~大垣~米原~京都
Piano For Train (4)
復路:京都~米原~豊橋~浜松
Piano For Train (5)
復路:浜松~静岡~興津~富士

[復路:富士~熱海~東京]

 富士を出発した電車は、50分ほどをかけて熱海に到着した。このエリアは本当に車窓から見える海が綺麗なのでぼくはずっと海を見ていた。釣りに行きたいなあ、魚が食べたいなあ、などと思いながら。

 実はこの富士~熱海の区間の記憶がほとんどない。海を見ていた記憶はあるのだけれど、この旅小説を書くためのメモも残っていないし、写真も残っていない。寝ていたのかどうかもあまり記憶にない。何をしていたのだろう。とにかくぼくは熱海駅のホームにいた。
 熱海駅の写真は出てきた。

画像1

 熱海から東京までは東海道本線、いわゆる「上野東京ライン」と呼ばれる電車で一本だった。いよいよ旅が最終盤に差し掛かっていると思ってぼくは少し寂しくなっていた。

 熱海駅のホームにやってきた上野東京ラインの列車は、何両にもわたる長大な列車だった。行き先は高崎とあった。高崎は群馬県だ。この電車が静岡県のここ熱海から、神奈川を横断して東京を過ぎて埼玉も過ぎて群馬県まで行くのか、と思うとそれはとても壮大なことのように思えた。
 
 最初に通り過ぎた先頭車両と2番目の車両にボックスシートがあった。それ以降の列車はロングシートだった。
 最後もやはりボックスシートがいいなあと思ったぼくは、歩いて先頭車両まで行き、ボックスシートの一席を確保した。ぼくと同様にボックスシートを確保しているのは鉄分の高そうな方々だった。

 席に座ってお茶を飲んでいると列車が発車した。
 熱海から東京までは二時間弱。最後の長時間移動かーと思ったが、ボックスシートも確保しているしそこそこ眠気もあったので、運良く眠れてしまえば東京駅までは一気にワープだな、と考えていた。

 あれ?と思ったのは発車してから15分も経たないぐらいのところだった。
 「この電車は籠原(かごはら)駅で前方から5両の車両が切り離されます」と電車内のアナウンスが伝えたのだ。
 籠原がどこだかはわからないがぼくが乗っていたのは先頭車両であり、そういった切り離しが発生する時にはぼくはこのままでは切り離されてしまうことになる。
 こういう時にぼくは自分の知識の少なさを恨んだが、籠原駅がどこかわからないから、もしも熱海~東京間のどこかの駅が籠原駅だとしたらぼくはそこにぽつんと取り残されてしまう、と思ったのだ。
 今日は色々とタイミングが合わない日だ。そういうこともありえるだろう。ここは早め早めの移動かな、と思ったぼくは、急いで荷物をまとめて六両目以降の電車に移動することにした。もしも次の駅が籠原駅だったら目も当てられない、と思って。

 しかし結論から言えばそれらは全て杞憂だった。
 籠原駅というのは終点の高崎駅から7駅手前の埼玉県熊谷市にある駅であり、ぼくがその時に乗っていた熱海~東京間には一切関係のないことだった。
 これらは全て、六両目の車両に移動して他の乗客たちとのソーシャルディスタンスがそこそこに密なロングシートに座ってから「そういや籠原ってどこなんだろ」と思ってスマホで調べた時に判明した事実であり、もしもぼくが予備知識としてこの「上野東京ラインの籠原切り離し問題」についてきちんとした知識があれば、焦って移動することなどなく悠然と先頭車両のボックスシートで眠りについていられたかも知れないのだ。
 ぼくは「テツ」としては全く上級者ではない。ただ単に貧乏旅行が好きなだけで。本当にその未熟さをこの時には思い知らされた。
 ちなみにここまでぼくがさんざん「ボックスシート」と書いてきたゴリゴリの人権派の座席の形態についてであるいが、これもどうやら正確には違うっぽいことが最終話執筆中に判明した。
 横向きの座席が向かい合った形態の座席、すなわち四人の家族連れが電車内でマクドナルドなどを食べながら談笑しつつ電車内が全てポテトとかナゲットとかのマクドナルドの匂いで充満するタイプの座席を「ボックスシート」と呼ぶらしく、ぼくがここまで「ボックスシート」と呼んでいた横向きの二人掛けの座席が同方向を向いている形態は「クロスシート」というらしいのだ。
 書きながら色々と調べている内に判明した事実である。これもぼくの「テツ」としてのレベルの低さが招いたことであり、レベルの高いテツの方がここまでの文章を読んで「あーそれはボックスシートって言わねえんだよ、クロスシートって言うんだよ!これだからトーシロは!」と思っていたかも知れないのだが、もちろん謝罪はしない。
 ニュースキャスターが間違った情報を伝えたことに気付いたあとに「謝罪して訂正します」と言うのがぼくはいつもイヤで「訂正するのは良いけど謝罪までしなくてもいいよ」と思ってしまうので、今回のこの「ボックスシート」と「クロスシート」の言い間違いに関してはこの場で訂正するが謝罪はしない。ここまでの文章に書いてある言い間違えに関しても訂正しない。なぜならばめんどくさいから。

 
 人間は間違えるし、愚かなのである。

 ボックスシートとクロスシートを最後まで混同していた言い訳として言っているわけではないが、ぼくは「みんな間違えるしみんな愚か」だとずっと思っている。「みんな」は言い過ぎかもしれないが、少なくともぼくは間違えるしぼくは愚かだ。

 そういうことを考え始めたのはぼくが若い頃にさかのぼる。

 ぼくはある種の強烈な劣等感を抱えながら生きてきた。
 それは自分が「ちゃんとしていない/ちゃんとできない」という劣等感である。

 思い返してみれば、子供の頃からその兆候はあった。小学校の頃にみんなが授業中に机にきちんと座っていられるのが不思議でしょうがなかった。ぼくは40分の授業だったらもって20分、早ければ10分ほどで椅子からずりおちてゲル状になってしまっていた。多分今の時代だったら何かしらの病名がつけられるような落ち着きの無さだったのだ。みんながずっと椅子に座っていられるのがぼくには本当に不思議だった。

 勉強はそこまで苦手じゃなかった。得意ではなかったけれどぼくは結構勉強自体が好きだったので、そこで劣等感を抱くことはあまりなかった。
 スポーツはちょっと苦手な方だったが、ずっと柔道をやっていて柔道もとても好きだったのでこれもそこまで劣等感の原因になることはなかった。

 もっと根本的な部分。人間としての性能が他の人よりもだいぶ劣っているなと感じ始めたのは、高校生ぐらいの頃からだったと思う。

 周りのぼく以外のクラスメートたちを見ながら「こいつらは多分20年後には結構出世して社会のために必要な人たちになっているだろうし、広い家に住んでいるだろうし、良い車に乗っていると思う。多分20年後のぼくは何一つ出来ていない」と感じたことを覚えている。
 その予感は正解だし、それから20年以上経過した今、何一つ出来ていない。当時のぼくに「その予感は当たるよ」と教えてあげたい。

 本当に、将来自分がばりばり稼いで裕福になっている姿がその時には全く想像が出来なかったし、実際になれなかった。今後もなれない。これは確信を持っている。

 大学生の頃に青春18きっぷを使った貧乏旅行をよくしていたが、その時にも「20年後くらいもこうやって貧乏旅行してるのかな。それともその頃にはさすがに毎回新幹線に乗れてるのかな。宿もいつも良いビジネスホテルに泊まれたりしてるのかな」と考えたことがあったが、「毎回新幹線には乗れない。安くて良いビジネスホテルに泊まれることはたまにあるけれど、監獄のような汚い宿に泊まることもたびたびある。貧乏なままだし全く出世していないし、基本的には何も変わっていないよ」ということをその当時のぼくに教えてあげたい。

 「ひょっとしたらぼくはものすごく低スペックな人間なんじゃないだろうか」と自覚し始めた若いころは、そのことがとても不安だった。

 何をやってもダメなんじゃないだろうか、誰からも必要とされないんじゃないだろうか、と。

 これも当時のぼくに今のぼくから結論を教えてあげたい。
 「何をやってもそんなにうまくはいかないし、あんまり人からは必要とされないよ。だけど大丈夫だよ」と。

 若いころにアルバイトをやった時にも仕事の覚えがめちゃくちゃ悪かった。出来が悪い癖に生意気だしすぐにサボるからあまり周囲とも仲良くなれなかった。こっちが仲良くしたいと思っても向こうがぼくを拒絶するのだ。仕方がない。

 そのアルバイト時代とあまり変わらずに、成り行き任せで職業としてのピアニストになってしまってもう15年以上経つけれど、全然大したことはないしバンドもすぐにクビになるしピアノも全然うまくない。なので必要最低限かそれに足りないかぐらいしか稼げていない。

 だけど大丈夫なのだ。

 ちょっと強がりのような要素も含まれているのかもしれないけれど、ぼくは断言できる。
 だけど大丈夫なのだ、と。

 お金はそんなにたくさんは必要ない。確かにたまには魚釣りに行きたいし、ピアノの調律も欲を言えば3か月に一回ではなくて2か月に一回ぐらいは入れたいけど、そのどちらもほどほどで我慢をして。
 あとはお金のかかることなんてそんなにないし、お金のかかることが問題として出てきたらそれはその時に考えればいい。

 人から必要とされなくて自分の居場所がないなら、自分の居場所は自分で作ればいい。
 自分の評価は他人に委ね過ぎなくていい。半分以上は自分で納得するかどうかというところで評価すればいい。
 ピアノも毎日やってれば必ず少しずつは良くなる。あきらめたらおしまいだし、他人と比較して必要以上に落ち込む必要はない。とにかく工夫してたくさん練習してたくさん研究すればいい。

 これまでのたくさんの失敗の中で、ぼくはこういう自分の生き方に対する態度を一つずつ決定してきた。

 だから大丈夫なのだ。

 2020年からのコロナウイルス騒動で、ただでさえ少なかった仕事がほとんど壊滅的になった時にもぼくは心のどこかで「多分大丈夫」と思っていた。
 仕事という名の「やること」はなくなったけれど、「やりたいこと」はたくさんあった。じゃあそれを片っ端からやればいい。そのうちのどれかが仕事につながるかもしれないし、そうじゃなかったとしてもやりたいことを端からやっていくのは気分がいい。だから大丈夫だ、と。

 「やりたいことは全部やれ。すぐにやれ」と言っていた末木さんのことをぼくは思い出していた。末木さんは有名な演劇の演出家だった。数年前にガンで亡くなった。
 末木さんの娘が歌手でぼくもたまに一緒に仕事をするので、その繋がりで彼との付き合いが始まったが、彼の持論は「やりたいことは全部やれ。すぐにやれ」だった。ぼくは彼のことが大好きだったし、ぼくがこれまでに大きな影響を受けた人の中の一人だ。

 その言葉を強く胸に刻みつけているので、ぼくは他人から見たらどんなにしょーもないことでも「やりたいこと」が出てきたら必ずすぐにやるようにしている。ぼくの「やりたいこと」のほとんどは音楽に関することだけれど、こうやってたまには電車で旅に出たり文章を書くことなんかも「やりたいこと」として浮上してくる。浮上したら即座に実行する。結果、失敗しても構わない。というか失敗なんてないのだ。「こうするとあまりうまくいかなかった」という「データ」が残るだけだ。ぼくの中では失敗などというものは存在しない。「やらなかった」と「できなかった」だけがぼくの中では失敗だ。

 40歳を過ぎてもなお鈍行列車に乗って楽しんでしまっているし、駅そばを食べて一喜一憂しているし、全く売れてもいないのに「ジャズ楽しいなあ」などと言いながらのんきにピアニスト生活を送っている。

 「なんか、色々大丈夫なんだなあ」と思って車窓の景色を眺めていたら、もう辺りはすっかり都会になっていた。

 電車はもうすぐ東京駅に到着するところだった。


[東京~千葉]

画像2

 電車が東京駅についた。

 このまままっすぐ家に帰るのが正解だったのだが、なぜかこの時にぼくの頭の中でシャア・アズナブルが「まだだ、まだ終わらんよ」と言い出した。
 旅を終わらせることにぼくの中にいる困ったちゃんがNoを唱え始めたのだ。

 ぼくは急にグリーン車に乗りたくなっていた。

 ここまで過酷な電車に散々乗って来たんだ。最後くらいちょっと贅沢しても良いだろう。

 そんなことを考えていた。

 とすれば、乗るのは必然的に総武線快速のグリーン車だった。
 それで東京駅から新小岩駅まで行って、総武線の各駅停車に乗り換えて自宅のある小岩駅まで行けばいいか。そう思ってグリーン車の券売機の前に行ったところで考えが変わった。
 東京駅~新小岩駅間ではあっという間についてしまってグリーン車を堪能できない。ぼくが持っている「秋の乗り放題パス」はどこで降りたっていいのだ。
 じゃあもうちょっと行こう。どこまで行こうか。木更津まで行こうか。木更津まで行っちゃうとまた戻ってきて帰るのがめんどくさいか。じゃあ、千葉あたりまで行くか。

 ということでぼくは総武線快速のグリーン車に乗って千葉駅を目指すことにした。グリーン券はたしか570円だった。

 総武線快速のグリーン車。

画像3

 乗った瞬間に「なんだこの王のような車両は」と思った。

画像4

 本当に一部の王族しか乗れないような列車じゃないだろうか、と思った。

 空調はナイスな具合に効き、椅子はふかふかしている。そして何より大きいのが「椅子のリクライニングが使える」という点だった。
 椅子のリクライニングを少し倒してそのふかふかとした場所に身体を沈めてみた。

 「ヘブン」と思った。

 ここは本当にヘブンなのではないだろうか。ここならば住める。いや、ここに住みたい。そう思った。

 たった570円でこのヘブン感が買えるのであれば安い。しばらくはこのグリーン車の快適さを堪能しようと思った。

 だが、その快適さを堪能している内にぼくの中にぽっと不安が湧き上がってきた。
 あまりに快適すぎるのだ。まるで自分がエラい人になったような錯覚をしていた。電車が駅に到着すると、ほとんどの駅で改札への階段の目の前でグリーン車は停車した。世界の中心に自分がいるかのような、そんな気分になってしまっていた。

 そんなはずはないのだ。

 世界の中心はどこにでもある。世界に様々な人が存在しているのだから、その存在する人の数だけ世界の中心はそこかしこにある。そもそもたった570円を支払ったぐらいで王になれるのであれば世界は王だらけになる。
 小岩の立ち飲み屋などで「おれの家系は辿っていくと実は皇族に繋がる」などとワケのわからない自慢をしているおっさんがいるが、その話の真偽は別にして(多分嘘だけど)、だからといっておっさんはぼくに酒のおかわりをたかっても良いわけではないからな。なんでおっさんの家系が皇族と繋がっているからといってぼくがおっさんに酒をおごらなくちゃいけないんだ。ふざけんな。過去に実際にあった話だ。

 そのおっさんの皇族話は多分嘘だし、ぼくももちろん王ではない。グリーン車に乗っているだけで王であるはずがない。しかし、その「王たる者」がいたとして、その者の為だけに世界が存在しているわけではないのだ。世界は、様々な全ての人々の為に存在する。

 日本の各地を鈍行列島で旅をしていると、本当に様々な人々がいて様々な言葉があって様々な食べ物があって様々な文化がある、ということを実感する。そしてそれらはその地域の全ての人々にとっての大切なものであることを思い知らされる。

 これが「世界」という規模になってもそうだ。様々な国の様々な地域に様々な言葉と食べ物と音楽と、つまり文化が様々に存在する。みな少しずつ違っていて、その差異に決して優劣は存在しない。

 「違う」ということはとても面白いことなのだ。そして「同じである」ということはありえないのだ。

 総武線快速のグリーン車に乗りながら王のような気分になった自分を叱責したかった。王じゃねーぞ、と。
 通常の車両にもドラマはあるし、グリーン車だけがエライわけじゃねーんだからな、と。

 駅そばのつゆの色が東から西に進むにつれて変化するように、乗っているネギの色が変化するように、ぼくらはどこかに行けば必ずそこの文化に触れることができる。

 その文化の差異を、何歳になっても面白がりたいなあと思った。そして願わくばその人たちにもぼくの文化を面白がってもらえたらなあ、と。

 言葉が違っていて面白い。食べるものが違っていて面白い。音楽のリズムが違っていて面白い。肌の色が違っていて面白い。

 これからもたくさんの異なった文化に触れていこう。実際に足を運んで、生身の身体で触れていこう。

 世界はぼくの知らないことで溢れている。

 そしてぼくはぼくの言葉でピアノを弾いていこう。

 そんなことを思った。

 
 電車はもうすぐ千葉につくところだった。

 



(おわり)

ソロピアノアルバム発売中です。
《ソロピアノアルバム配信サービス(spotify, itune等)》
【流転 ~ru-Ten~】
https://linkco.re/p4NzfQ9V
【Self Expression】
https://linkco.re/gmTZNabb

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?