『デューン』 アトレイデス家は英雄なのか

 強欲なハルコンネン男爵は、残忍さと恐怖によって人々を支配していた。このような人物像は、多くの物語で悪役とされている。しかし、人類の歴史上に存在していたし、現在もそのような国家は存続している。そこで暮らすすべての人々が統治者を絶対悪だと思っているわけではないことを理解しなければいけない。

 ハルコンネンは快楽と引き換えに忠誠を買う。よく仕えれば、望むものを手に入れることができた。人の喜びと苦痛をコントロールすることで、行動が正確に予測できると理解していた。

 アトレイデス家のレトは、残酷なハルコンネン家や二枚舌の皇帝に比べれば高潔だった。身分制度は存在していたが、緩やかで、よく組織化された社会を完成させ、人々は精神的に満足していた。

 それは、レト1世が莫大な資金を投入して、プロパガンダを行ったからに他ならない。高貴に見えるアトレイデスは、かられがそう見せているから高貴なのであって、本当にそうだから高貴なのだとは限らない。

 アトレイデス家は完ぺきに公正な統治者といわれるようになり、信奉者を増やしていた。ダンカン・アイダホ(Duncan Idaho)とガーニー・ハレック(Gurney Halleck)は、サルダウカー(Sardaukar)より規模は小さいものの、強大な軍隊を率いていた。更に、レト1世のメンタートであり暗殺マスターのハワット(Thufir Hawat)は、高潔であると同時に狡猾で、皇帝だけでなくベネ・ゲセリットにとっても脅威となっていた。

 皇帝は政治的脅威の排除を望み、ハルコンネン家は数千年来の恨みを晴らすために、アトレイデス家を徹底的に叩き潰すチャンスを狙っていた。ベネ・ゲセリットにとっては、希望するジェシカの娘を得ることができなかったが、ポールに遺伝子が受け継がれたことで、レト侯爵は用済みでしかなかった。

 しかし、『デューン砂の惑星』"DUNE" (1965)で描かれたアトレイデス家の英雄譚は、『デューン砂漠の救世主』"DUNE MESSIAH" (1969)で裏切られることになる。

 アトレイデス家、ハルコンネン家、コリノ家、その他すべての人たちは、表面的には善と悪を象徴しているように見えるが、決してあからさまな善人、悪人ではない。アトレイデスが高貴に見られたいのと同様に、ハルコーネンは悪と見られたいのだ。しかし、実際はどちらもそうではなく、権力と影響力を得るために2つのハウス(家)が対立し、異なる手法で支持基盤を築いているにすぎない。

 ちなみに、皇帝シャダムはベネ・ゲセリットの計画により息子を得ることができなかった。一方、レト1世はベネ・ゲセリットの命令に従わず息子を得たことに対して怒りと羨望があったのかもしれない。

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