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夏休みに入りまして

今日も本当に話したいことは話せなかった気がする。

生きれば生きるほど、僕は誰とも気持ちや志や興味を共有することができないんだなあという自覚を得て、孤独感が強まる。

何もする気が起きないし、するべきこともないから、
何とは無しにSNSを開いてみると、ある程度同じ経験や興味関心を共有し、同等の知識レベルで専門的なテーマからしょうもない世間話まで、楽しく語り合えた同級生たちは、結婚・出産・海外赴任・転職・余暇の充実など、実に豊かそうな人生のカットを投稿しているので、着々と人生の駒を前に進めているように見えて、僕だけ時間が止まっているように感じられる。

皆と久々に話したいなと、ふと思うくらいの気持ちは生じるけど、
そこからいざ連絡してみたり、同窓会的な類の集まりに行ってみたりするところまでの隔たりがものすごくある。

社交性や社会性のないやつだと思われるのは全く問題ないものの、
そう思われることで、よりその隔たりが大きくなるのは本当に残念だと思う。

とはいえ、その解決は僕の精神的性質が治らないと誠に困難であるし、
もうある程度人生の時間が経過してしまっているので、その精神的性質を変質させていくことは難しいのだろうと受け入れている。

* * *

ところで、社会人の夏休みに入って半月が経った。

日本の社会は、僕のような不器用な人間に優しくて、働いていないのに、しばらくお給料をくれるらしい。

心から仕事に対するやりがいを感じられず、
僕に与えられたミッションたちを遂行することによる意義も感じられず、
しかも、そのミッションを遂行するためには、自分が他人にされて嫌なことを他人に強いなければならない性質※のものが含まれており、
色々と僕の性に合わなかったから辞めようとしたのだけど、給与付きでお休みをくれるというので、特に次の行き先もないし、お言葉に甘えて夏休み期間に入ることにした。

「お言葉に甘えて」という言葉を使ってはみたものの、
あれだけ働かされたのだから、給与が支払われるのは当然だろうと思う僕もいる。

一応、対外的には、精神及び体調不良が原因ということになっているが、
正直これらは今に始まったことではなく、幼稚園の時からの僕の性質だ。

お休みに入る前も、入った後も、個人的にはなんら変化はないのであるが、
いつも僕に話をさせたがる先生はいろんな病名をつけたがったり、僕が本当に思っていることを話さないものだから邪推して、あなたはこういう風に感じているのよね、とか言って、僕に同意のリアクションを求めたりするから、僕は1ミリも同意していないのに、そうですね、とか返しちゃったりして、毎週毎週ねじれが複雑化していく。

だけど、そんなこと当たり前で、彼女が僕を理解できないのは仕方ない。

自分自身や家族のことだっって理解できないのに、他人なんて理解できるわけないし、ましてや、当人がどう感じているか、どう考えているかを発信しないのだから、彼女が理解できるはずがないのである。

そして、発信したって、育ってきた環境や今語ろうとしている事柄のコンテクストなしには相手には自分の悩みや考えを理解できるはずがないと思っているから、発信をしないというようなところもある。

ただ、そんなことをしていると、どんどん精神が摩耗して、厭人的になって、孤独感が高まって、更に僕の場合は、自分の能力に比して、理想だけが高いものだから、無能感に襲われて何の気力も湧かなくなる。

* * *

思い返せば、こういう感覚は人生で3度目で、3回とも違う環境でこの無気力感に襲われた。

もうすぐ30だというのに、未だに器用に生きられず、社会で生きていく上での折り合いのつけ方もわからず、数年を周期に精神をすり減らしては回復して、また、僕の興味を満たす新しい環境を選択する不安定な繰り返しを死ぬまで繰り返すと思うと、あまりに自分の人生がつまらなくて絶望した。

生きていくためには、多くの場合、社会や他人と関わる必要があって、
関わると摩擦が生じるのに、できるだけその摩擦が生じないようにと足掻いたり、我慢したりしようとしてしまうものだし、
コロナだとかオリンピックだとか、モリカケ問題だとかリコール不正だとか、パワハラだとか過労だとか、世の中おかしなことばかりだというのに、精神が疲れない方がおかしいような気がしてくる。

善く正しく価値のある人生を生きたいとか神経質なことを考えていると、
一生心をすり減らしていくことになりそうで恐ろしいが、自分の考えを少しでも理解し、その志を共有してくれるような仲間やパートナーと出会えたらなあと最近強く思うようになった。

僕も自分に少しでも心を開いてくれる人が目の前に現れたなら、その時はできるだけ僕も寄り添えたらなあなって思うようになって、人生は繰り返しで今のところ本当につまらないものであるが、少しは成長した部分もあるような気もしてくる。

こんな調子で、寝て、食べて、息をして、散歩して、自分で自分を慰めながら、孤独感を募らせながら夏休みを送っている。

さて、次はどの興味を満たす環境で心をすり減らそうか。




※ 実際のところそうではないのだけど、理性的に物事を合理的に処理できる人はそうたくさんいないし、そういうふうに感じる人が多いということは大いにこちらは理解していた、という感じだ。あと、これは僕のミッションがそういう性質だった、というよりも、僕にミッションを与える人物がそのような性質を包含させて上で、僕にミッションを落とす性質を持っていたと言う方が正確なように思う。(ああだこうだ言っても、全部あくまで僕視点の考えだからどうしようもないのだけど。)

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