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夏至の瞑想

本日6/22は、今年の夏至だそうです。1年で一番日の長い日。

昨日紹介した「オンライン瞑想マラソン」について、何でマラソンかというと、1回2回でなく、マラソンのように長期的に取り組んでいくことをめざしているからだそうで、毎月新月、満月あたりと、夏至など自然からのメッセージを受け取りやすいタイミングで不定期開催されています。

6/22が暦の上での夏至ですが、太陽のパワーを受け取りやすいのはその直前ということで、昨日6/21に瞑想会がありました。

僕はスピリチュアル系の話も好きだし、科学的な実証実験やエビデンスのある話や知識も好きです。偏らず、物事の本質を多角的に見るというのが好きなのかもしれません。

瞑想をしてメッセージを受け取るっていうのはスピ系のにおいがして、苦手、という人もいると思うのですが、体感的≒本能的、つまり自然の中における生物としてのあり方からの脳の伝達だと解釈しています。そして、思考をめぐらせることやその体感的なものに反発するように作用するのが思考的≒理性的な部分であって、ヒトを人たらしめるものだと解釈しています。(ヒトとカナで表記するときは生物学的、人という漢字の場合は精神性を伴うものとして分けています)

昨日の瞑想では、以下のようなメッセージを受け取りました。

「あるものをあると認識したときに繋がって、使えるようになる。そのために科学的に学んでいくことも重要である。」

「あなた一人の思いや行動はちっぽけであるけど、それが何かを生み出すかもしれない。だから、動き続けて、発信し続けること。」

瞑想を始めて浮かんだのは、昨日は血管の中の赤血球のイメージでした。細胞のひとつひとつに酸素を送り込み、二酸化炭素を受け取って排出する。血液は栄養などの必要なものを運ぶ。細胞の一つ一つが呼吸しているイメージ。

なんで細胞なんだろ、と思ったとき、細胞一つ一つが結びついて自分という個が成り立っていること、細胞という存在、その中にあるミトコンドリアなどの小器官の存在。学校の座学で得た知識ですが、それが存在すると知ることで意識がそこまで行くのだと思いました。知らないもの、存在しないものは認知できない。そこにたしかにあるのに、認知できず、生かせない。そうならないために、学ぶというときに科学的なエビデンスにこだわるのも大切なのだと思いました。

次にイメージで湧いてきたのは、黄色い花からものすごい量の花粉が飛び出すイメージ。粉が本当にバンバン出てくる感じです。そこで、どうして花粉なのかな?と思ったときに、花粉はそのすべてが実を結ぶわけではなくて、振りまかれたものの本当に数億分の一とかが、めしべの柱頭に到達して実を結ぶのだと思いました。

そこから、今やっていることすべてが、自分の本当にしたいことにつながるものばかりではないかもしれないけど、逆に言うと何が自分の本当の願いにつながる種なのかはわからない。だから、とにかく行動し続けることだと思いました。

また、ある種の花粉はある人にとってはアレルゲンとして忌み嫌われます。アレルゲンとなる花粉が飛び交うところに、その人はきっと近づかず、別の心地よいところを求めて移っていくことでしょう。

僕が一生懸命していることがある人にとってはとても嫌なことで、僕から離れたくなる人もきっといることでしょう。そして僕から離れた先で、真にその人に必要な出会いや学びにつながるとしたら、それは喜ばしいことだと思いました。

学習塾をしていると、どうしても出会いと別れが比較的にかなり多くなりますし、指導に関しても経営にしても試行錯誤の連続です。相性ばっちりで実を結び合える関係性、虫媒花の虫のように新しい出会いをもたらしてくれる人もいると思います。そして、残念ながら離れていく人もいます。

そのときに、お互い一生懸命取り組んだ結果なら、その別離というのは、祝福に値するんだな、とタイムリーに実感しています。

次に見たイメージは、都会的な夜の街の、バイパスとか首都高とかのような広くて少し高い位置の道路を疾走しているイメージでした。現代の街は夜でもキラキラと暗闇に瞬いていて、それが星のようでもあり文明の象徴のようにも感じました。ただ、若者だったときに友人と夜の街をドライブしてテンションを上げていた、あの悪ノリしていたような、青春の一部分を感じました。

あとは自然の中で見る夜明け前の気配。空が紫色に、少し明るんできたけど太陽は山陰の向こうにあってまだ姿を見せていない。山や木々はシルエットだけはっきりと見えて、これから始まるんだな、という感じ。

そして、最後に、瞑想会を主催しているまさよさんの「今、生まれ変わって地球に降り立ったところをイメージしてください」という声かけによって、何も持っていない状態で、何をしに来たかも忘れてしまった状態で、爽快な原っぱにいるイメージが湧きました。何も持っていないけど、それを思い出していく人生のはじまり。そのまま原っぱに立ちすくんでいては、きっと何も得られないままだから、「動かなきゃ」という思いに駆られました。

瞑想したあとって、いつも心地よく眠れます。きのうもぐっすり眠れました。科学的には、脳の整理や精神的な落ち着きを得られるのかなと思います。

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