~ちっぽけな存在になる~

自分の行動を決める要素
ここ最近、自分の行動を決めるのはなんだろう?と、考えるようになった。役に立つかどうかなのか、それとも自分が楽しいかどうかなのか。私は、自然と前者になってしまうことが多いが、最近は、後者を意識することにしている。

社会の役に立つ人間になろうとすること
役に立つかどうかで判断すると、自分が役に立たないと感じたときに苦しくてつらくなる。社会貢献できているかどうかで自分を評価すると、ちっぽけな自分に嫌気がさして、もっとBigな存在になりたい、もっと社会に影響を与えたい、たくさんの人に認められたいと思うようになる。私にとってその感情は、社会の役に立たないといけないという圧になり、押しつぶされそうになる。

私の幸せを、自分の幸せだと言ってくれる母の存在
そんな時は、自分がどれだけ小さな存在になれるか、どれだけ小さなことに幸せを見いだせるか、どうすればいちばん身近な人を幸せにできるか、と考える。自分が幸せになることで、周りの人を幸せにできるかもしれない。こんな風に考えるのはきっと、私が幸せならそれで良いと言ってくれる母がいつもそばにいるから。そばにいないときも、そう思ってくれる母がいると信じているから。

好きなことをしている人、幸せな人は、周りの人を幸せにする
好きなことをして生き生きとしている人といると、自分まで幸せになってくる。好きなことをして生きていくためには、想像もできないぐらいの努力が必要かもしれないけれど、惜しまずに努力することで自分が幸せになり、周りの人が幸せになる。そんな、幸せづくりの連鎖が続いていくような社会になったら良いな。現実はかけ離れていて、夢のまた夢の話かもしれない。私は恵まれた環境に育ったから、そんな風に楽観的でいられるのかもしれない。

自分が幸せになることを第一に考える
家族を持ったり子どもができたりしたら、また考え方も変わると思う。だけど、自分が楽しいかどうか、幸せになれるかどうかで判断して、自分が幸せになることで周りの人を幸せにしたい。

どれだけちっぽけな存在でいられるか
ちっぽけな存在になって、小さな幸せを見つけてそれを幸せと感じられるようになる。自分が幸せになることで、身近な人を幸せにする。簡単なようで難しい、私の目標である。

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