伝承館_入り口

気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館(2019.7.7訪問)

カランカラン…カラン…

海が近いのもあって、風が強く吹いている。剥がれかかった天井や、屋根から垂れ下がったトタンがの音が寂しく響く。野ざらしになっている震災遺構は、今はもう震災の様子がわかるものが周りになくなった分、なんともいえない異様さを放っていた。


2011年3月11日の東日本大震災から8年半。初めて被災地を訪れた。数か月前に伝承館がオープンしたという記事を見て、ここが今回の旅の目的地になった。今まで、被災地を自分の目で見てみたいと思いながら、苦しんでいる人の生活を見物しに行くみたいで、勝手に気が引けている部分があった。

Google mapで見ると陸前階上駅から1.7km。車なし一人旅をしていた私は、歩いて震災当時高校校舎だった震災遺構 伝承館へ向かった。でも、これは間違いだった。周辺は完全に工事区域で区画整理の真っ最中。ひたすら続く工事区域に、ゼネコンで働いている私でも徒歩で入っていくのにたじろいだ。校舎が近づいてくると、ぱっと見の外観は新しい学校なのだが、様子がおかしいのが、すぐに分かった。

当時、全生徒を近隣の避難所に避難させて、4階建ての建物は浸水しながらも教職員50名が屋上に上って全員無事だったという奇跡的なエピソードも紹介されていた。もしも屋上に水が上がってきた時のために、生徒の机を嵩上げの為に持って上がったそう。
屋上へ上がると、海の近さがよく分かった。

最後の展示で、震災で卒業式が10日延期された卒業式答辞の映像が流れた。(youtubeのリンクを貼っておきます。)10日後に、こんな力強い言葉を残していたなんて。当時大学1年生だった私は、正直募金しかできなかった。今ならば、何かできるかな…

体育館も、惨憺たる有り様だった。
私はゼネコンに新卒で入社した後、約半年 建築の工事現場に配属されていた。そこで見てきた、すごく重くてピンと伸びた鉄骨や鉄筋が、紙ペラやロープのようにぐにゃぐにゃに曲がっている光景を、正直信じられなかった。

この校舎を、卒業生が見るのは本当に辛いだろうな。被災者の方も、生活や気持ちが前に向いてきたからと言って、この建物を直視できない人も多いと思う。それをこうやって残してくれた意義は、ものすごく大きい。今まで写真でしか見たことのなかったものを目の前にして、正直、私はすごいショックを受けていた。そして、気仙沼の人たちの強さを心から感じた場所だった。

出口を出ると、泣き叫ぶ女性の声が聞こえた。ロビーに響き渡る、大人の女性の泣き声。しばらくして、その女性は係の方に連れられて外に出た。もしかして、被災者の方なのか…。実際どうだったのかはわからない。でも、私みたいに「体験してないから」来れれる場所だったのかもしれない、ここは。実際、前夜に語り部の方はここへはまだ来られそうにないと語ってくれた。

帰りはタクシーで陸前階上駅まで向かった。タクシーは電話すると伝承館まですぐに来てくれた。2時間程度の滞在だったが、この景色はきっと忘れない。

旅を終えてしばらく経ったが、まだ雨風にさらされたままの校舎を思い出すと、胸が痛む。大川小学校もそうだったが、多少建物を固定しているとはいえ、野ざらしだ。これから何年も何十年も、人々に事実を伝え続けていける数少ない遺構。どうか、しっかり管理されていきますように。

私の宮城一人旅



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