待つという選択肢。

頭でわかっていることを、心で納得する。

この「整理」というものは、日常生活においてよく起こりうることのくせに、とても難しい。


人はなんで期待なんてするんだろう、と、ちょっと冷えた頭で考えてみる。

今日は、30回目の誕生日。

20代のころは、「ディズニーバースデー」とか、

「おしゃれな場所で、素敵なプレゼント」とかをほしがっていたのに、

今、一番ほしいのは『好きな人からの「おめでとう」』

だったりする。


1月下旬。

新年に失敗したデート相手に送ったメッセージは、

既読という表示になったまま、その答えは返ってこなかった。

その日に決めた、

「誕生日に何もなかったら、この恋は20代においていこう」という気持ち。

ほんの数日だったけれど、どっかで、メッセージがくるんじゃないかなんて

思っている自分がいた。


そして、今日。

こういう日は、無意味に携帯のランプを気にしてしまう。

見たって、何もないのに。

来るはずもないのに。


今、デートの日彼とみた映画の挿入歌アレンジを聞きながらこれを書いているという、ちょっと痛い状況でもある。

彼は、

「ヒロインが、もう一人の主人公が他の人とデートをしているところを想像して涙ぐむシーンが好きだ」

と、言っていた。

ヒロインが、主人公を好きだという気持ちに気づく瞬間。

そんなことを話している彼の笑顔に、私はきっと恋に落ちた。

でも、映画のストーリーのように、

相手への記憶があいまいになっても、また、会える、なんてことはなく。

現実的に650キロ離れている場所で、会えることなんてなくて、

ましてや彼に気持ちが届くことなんてない。


あと数時間後には、エンドロールが流れる。

誰かを想い、待つ。

その選択肢が持てたくらい久しぶりに、

もう少し知りたいという気持ちを思い起こさせてくれた恋のつぼみを

持てたことを誇りに思おう。