個人の尊重は刃物になる

やな奴になるな。

気をつけろ。

やな奴になりそうになる時のストップは、自分でしかかけれないから、気をつけろ。

個人の尊重という言葉を使って、「自分が自分が」になって、理解だけしてもらおうなんていうのは、暴力なる。

いくら尊重しようと思っていても、自分に余裕がなく、相手がやな奴になってしまった時は、「スルーすること」で精一杯。
言えば否定に受け取られ、寄り添えば責められて心は崩れる。言いたい事はたくさんあるけど、これ以上キズが深くならないようにと、相手の心が癒される事を信じて願う。それしか出来ない。やな奴になっても、心の根本に美しさをもってると信じてる。

第三者は、こういう時に必要。
ただ、組織になった時、会社と個人に第三者が入りづらくなる。


コミュニティを組織や会社にする事はできないの?
組織や会社はコミュニティでない方がいいの?

だから、今の世の中になった?
それが、楽だった?

その代償に起こっている社会問題を分かってるつもりだった。過労死、パワハラ、鬱、自殺、引きこもり。

社会問題が解消されてると思った多様性コミュニティだけど、多様性を受け入れられない人にとっては、苦痛であり、パワハラに受け取られ、鬱、自殺、引きこもりになってしまう。

次の時代のステップは、会社やコミュニティの受け入れる側の問題点を探すより、個人個人が、共生できる力を伸ばすことにフォーカスした方がいい。
共感できる力を持ってる人だけに、偏らないように。

それでも私は、共感がもつ人と繋がる力は信じている。

「やな奴になるな」

これは、寄り添おう・共感しようとしていたひとが、その人と繋がりたいか?という問いに対して、「ノー」と答えてしまうから。

尊重してほしいのに、自分から、そのチャンスさえも無くしてしまっていることに、気付いて。


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