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「農耕詩」 クロード・シモン

芳川泰久 訳  白水社

農耕詩

「農耕詩」というタイトルはウェルギリウスから来ている。この作品には三人の「彼」が登場し、特に第一部(60ページくらい)では渾然となっているため、訳者解説では第二部から読み始めるのも一案だと書いてある。自分はとりあえず最初から読んでいるのだが、この場合、最後まで読んだらまた第一部に戻って読み返すのがお薦めと書いてある。さてどうなることやら…

 ページに陽射しが当たった記録簿のまぶしい斑模様は、彼の網膜に刻印されたまま残る。閉じたまぶたの下で、ピンクの長方形が緋色の地から浮き上がるのが見える。その長方形がゆっくりと右にそれてゆく。
(p21)

最後の一文が自分にとっては謎。
(2014 09/04)

「農耕詩」は昨夜少しだけ。3人の登場人物が入り交じっている第一部ですが、読み進めていくうちに一人一人の文量が長くなっていき晴れ上がっていく印象。(訳書では)太字ゴシックと通常書体の人物が、一行開けたら交替してたりもします。
(2014 09/08)

断片化

 記録簿のページをたぐりながら、それらを傾けて持っていると、雲母のようにきらめき金色に輝く小面をもつ錆色の細かな微粒子が文字から浮き上がり、紙の上を滑ってゆく。まるで、単語が集まり、文ができ、部隊が移動するにつれ紙の上に痕跡が残され、戦闘があり、陰謀があり、演説があり、それらが鱗のように剥げ落ち、ぼろぼろに崩れ、塵になって、手にはもはやこの触れることのできない粉しか残らず、それは乾いた血の色をしている。
(p65)

第1部のラスト。なんだかこの小説もこうやって書かれたものに過ぎないんだよ、とクロード・シモンは念を押しているようだ。それは書かれたものだけにとどまらず、人々の記憶やひょっとしたら毎日の生きざまもそうなのかもしれない。断片化し、浮き、交差する光の粒達。

第2部では20世紀の冬の騎馬隊の行軍。これも断片化した粒子の動き。
(2014 09/14)

絵画の描写

「農耕詩」は昨夜で第2部終わり。
ここでは作者の分身らしき「彼」が経験する戦場と敗走が描かれているのだが、時系列に書かれているようで書かれていない…話がどんどん脇にそれていくのは、作者ができる限り正確・精密に描写したいその現れ(前に読んだ「草」はそれを強く感じた)というより、作者の頭の中で次々脱線していくのが楽しいから、という感じがする。ただあてもなく脱線しているわけではなく、ある規則性みたいなのはありそう。それが作品冒頭に置かれている絵画の描写。西洋には実際には描くのが不可能な想像上の絵画を言葉で描くという伝統があるのですが、それも踏まえてのことなのだろう。

それと脱線していく比喩が辛辣でなかなか楽しい。理解は難しいけど。
(2014 09/17)

「農耕詩」第3部は古い館に住む老夫人に話を聞きにきた訪問者(第二の彼)。こういうシチュエーションは「アブサロム、アブサロム!」の冒頭を思い出したり。(2014 09/19)

場面転換の鮮やかさ(神?)

…キングやクィーンやジャックという色とりどりの図柄が受け継がれ、緑のクロスの上に落とされ、組み合わされ、同盟を結び、それを破棄し、というか次々に自滅し、図柄は色鮮やかな胴衣をまとい、磁器のような顔をし、謎を秘め、無感動で、秘密の力を持っているようで、取るに足らない戦場にばらまかれ、集められ、再びかき混ぜられ、つかの間の出会いとつかの間の陰謀という偶然に再び直面する用意が整う。
それから老婦人は死んだ。子供たちは入室させられ、跪き…
(p160~161)

老婦人の夕食会の場面のカードゲームから、かき混ぜられたカードが作品の登場人物か場面に変容し、神なのか作者なのか偶然というものか、とにかく何者かのシャッフルする手がかいま見え、その結果老婦人の死の場面に変わる。先週引用した文章にも似ているが、磁器というところなど死と(将軍の)像も連想させる。…のあとは、多分老婦人の家で見つけた200年前の将軍の手紙が挿入される。
(2014 09/21)

農耕詩とシラミと映画と

 彼らは半ば暗闇のなか横になり、それぞれ孤独で、自分の身体の上をシラミが這うのを感じ、やつらは無数で、まるで微小の軽いアリの行列のようで、あたかも夏が、時間が、〈歴史〉が、それじたい腐り、分解され、あの見えない蝟集に帰してゆくかのようで、それはひどく不浄で、貪欲で、そこに生きたまま横たわり、汗まみれの無力な彼らを蝕んでゆく。
(p184)

第3部。メインの第2の彼と老婦人との筋の合間に、第1の彼の手紙と成長して軍隊に入った第2の彼の記憶が、まるで映画のフラッシュバックのように入り込む。ここに挙げた文は軍隊の彼の記憶挿入部からだが…引用するのこんな文ばかり…シラミがこの作品の断片化された場面の集合体にオーバーラップされているかのよう。引用文を入力しながら気づいたのだが、「這う」って、言の道(しんにょう)って書く…書く営み、読む営みを象徴しているかのよう。

さて、メイン筋では、第2の彼の少年時代、老婦人の館を出て町の映画館に行く。映画館には(たぶん)ジプシーの一団も来ていて、彼に強い印象を与えたよう…そこでの一文

 純粋状態の暴力を人間の形をかりて拒否できないように絶対的に保存しているみたい
(p188)

ここまで絶望的な人間観ってのも…この文の後、映画の技法の言説借りて、メイン筋の第2の彼と、軍隊に入った第2の彼を重ねるところは、実に巧みで鮮やか。文学を繙く悦び…

軍隊の第2の彼が春の到来を告げ、それに合わせ第1の彼の手紙も春の農事となる。四季の移ろいを基調にして、農事と戦時をバラバラに散りばめながら進む。この作品の構造はそうなっているのかもしれない。この意味においてウェルギリウスの「農耕詩」と共通する…のか?…これは今度はウェルギリウスをチェックしなければ…
(2014 09/23)

ウェルギリウスの「農耕詩」

「農耕詩」(こちらはウェルギリウス)から

自分の家の土地没収(戦後処理とはいえかなりめちゃくちゃな話)とそのとりなしでオクタウィアウスと知り合いになる。「牧歌」にはその名も「土地没収」という詩があるし、「農耕詩」は戦争のない時に軍人に農耕を進めるという教訓詩…だから軍隊用語も多く取り入れられている(この辺りクロード・シモンに関連あり)というところ。
(2014 09/27)

将軍の弟

「農耕詩」第3部を読み終え。いろんな彼のいろんな断片がだんだん細かくなっていき…最後に若干和やかになりつつ、シャルル叔父が作りたての葡萄酒眺めながら、将軍に弟がいることを彼に告げる…と、だいたいそんなところ。
(2014 09/28)

第3の彼、第4部

というわけで「農耕詩」昨日から第4部に入り、オーウェルらしい第3の彼に描写が移る。作品冒頭に置かれていた絵画の緻密な描写と呼応するように、この第4部の始まりは一枚の写真の描写から。そういえば、絵画に写真にオペラに映画…こういういわば複製作品がこの小説には鍵になるように出てきて、人間の知覚や記憶というものもこうした複製技術形式に多く影響されている…というのも主題なのかも。

で、話はバルセロナを逃げ隠れする第3の彼…また複数の時点の場面が入り組んで配置されているような…
(2014 09/30)

塹壕(またはうじ虫)の時間

 彼はあるとき、この世界も、この闇も、この大地全体も、動きを止めてしまったように感じ、ただその場でうごめいているだけで、うじ虫みたいで、恐怖を抱きながら待つ以外にすることは何もなく、闇のなかで身をよじり…
(p251)

実際に何も進んではいないのではないかと思う瞬間はたまにある。戦時という極限状態でなくとも。
ここで出てくる上司(大隊長)?って、ひょっとして第3部最後の将軍の弟と関係あるのかしらん?
(2014 10/01)

 まるで悲惨さが洗剤とさえなり、大量の水で洗い流され、悪臭を放ち続けているみたいで…(中略)…泡は詰まった下水口にたかる大群のハエみたいで
(p281)

市民戦時のバルセロナの描写の一部分。延々とこうした描写を続けてきて、語り手も詰まってきたのか「以上である」と駒を投げ出したかのように切り上げてしまうのだが…

あと、p278ではイギリスの、p279ではスペインの地勢学的比喩の文章が印象的。バルセロナというのは、膨らみと関連する地名なのか。
(2014 10/03)

またもや自己言及的なこんな文章を…

 調査を行っている語り手自身が殺人者ではなく死者そのものであるような小説の一冊に似ていて…(中略)…〈歴史〉じたいが残りを引き受け
 著者は読者を混乱に陥れて楽しみ、同一人物にいくつもの名前を割り振り、というか逆で、同一の名前をさまざまな中心人物に与え
(p296)

フランス語では、「歴史」と「書くこと」は似ている(同じ?)だったような。
(2014 10/10)

第4部の終わりと第5部の始め

第4部の終わりは今まで以上に書き方が断片化してきて、よくわからないままに移民達が持つバッグの描写で不意に終わる。抽象的な写真の描写で第4部は始まり、抽象的ななんかこれも写真(かドキュメンタリー映画?)の描写みたいなので第4部は終わる。

第5部は第1の彼に、引退して領地の農園に戻った彼の話になる。この部で第3部ラストで出てきた謎が解けるはずなのだが・・・それに関わりそうなのは、財産を争っているような親戚?の存在の提示だけ。彼の手紙というかメモもかなり老化の影響を受けてぐちゃぐちゃになりつつある。また、どこかで、第4部にも同じ語句っぽいのが出てきたような気がしたが?
(2014 10/14)

「農耕詩」ラストまでまとめ読み

 あたかも〈歴史〉とは、何よりも会計係の、数字の長い累加の問題みたいで、その貸借対照表は数分の大音響と殺人に要約されるんだよ。
(p392)

「農耕詩」なんとか読み終わり。弟の謎は、ちょうど兄とは裏返しの反逆者となって、兄が制定した法によって処刑される、というもの。会計係だけでも、大音響と殺人だけでも、〈歴史〉は回らないんだろうな。たぶん同じ人物一人をとっても。で、この文もまた自己言及的で・・・

続いてはクイズ。下の文章は何に言及しているのか?

 一方、助手は帰ってゆこうとし、ジャム用の広口瓶を持ち去ろうとし、そこでは血に染まった塊が無色の液体に浸かったままあちこち揺れ動き、大きな干しスモモに似ていて、それを両手で膝の上に抱えて
(p396)

答えは将軍の死体から切り取った心臓。こういうものを大事に保存するというのは、近代西洋の流行の一つなのだろうか? ジャムとかスモモとかいう言葉との一見アンバランスさ加減が皮肉な文章。

最後は(やはり)将軍の手紙の累積でこの作品を終える。最後になって初めて領地で留守を預かる(最後の謎にも一枚噛んでいた)手紙の読み手たるバッティ側の描写が出てくる。そういえば、これまでどのように読まれていたかという視点は自分も持っていなかった。反省・・・
(2014 10/15)

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