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「フーコー」 今村仁司・栗原仁

CenturyBooks―人と思想  清水書院

 女性、子供、夫婦、成人という性にまつわる四つの対象化は、そこに権力=統治術の触手が降り立つ介入地点の成立を意味する。
(p139)

 私が驚いていることは、私たちの社会ではアート(技芸=芸術)が諸個人や人生=生活ではなくて、もはや物体にしか関係を持たなくなっていることです。…(中略)…しかしながら、すべての個人の人生=生活とは、一個の芸術作品でありうるものなのではないでしょうか。なぜ、絵画や建物が美術品(芸術対象)であって、私たちの人生=生活がそうではないのでしょうか。
(「倫理の系譜学について」)
(p157)


晩年の道徳、性行為の思想から。
「性の歴史」は元々はヨーロッパ中世キリスト教時代までのp139にあるような四つの側面からの歴史研究になる予定であったのが、上に挙げたp157の視点などから古典期ギリシャ、ローマの個人のあり方への探求へと変わった、という。
前章での権力のところでは、前に読んだ社会学のちくま学芸文庫では、フーコーは権力を個人間で形成されるものとして見ているという視点があったように思うのだが、ここではそこが抜けてるような、ようでないような…
(2018  12/23)

(このちくま学芸文庫がどの本なのか調査中…)

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