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「ドイツ幻想小説傑作集」 

種村季弘 訳  白水Uブックス  白水社

フランクフルトの騎士


今日はドイツ幻想短編集から2作目。前読んだイギリス編と対のもの。作品は百年戦争時のイングランド騎士が現代フランクフルトに現代風に甦る?というもの。なんか一見素っ気ない2つの世界の併存が楽しい。でも作者は所謂過激神秘主義を警戒しようとしてたのかな。その辺はおいといて、視点が最初はその騎士から始まって、ラストは騎士と話していた現代の博士で終わるというのは巧い。
(2013 09/13)

人造人間二譚


「ドイツ幻想短編集」。人造人間のネタが2作品ある。後の作品の方は解説にある「かのように」語った一例なのではないか。一方前の作品、パニッツァの「人間工場」の方は、産業社会化が進んできた19世紀末の作家の不安(後にパニッツァはパリで発狂してしまう)をなんとか書いたものではないか。
あとは、「写真」というブッツァーティの「コロンブレ」にも発展しそうな小品。
(2013 09/18)

機械男から


昨日は「ドイツ幻想短編集」から「第四次元」「機械に憑かれた男」「黄色テロ」。その中から真ん中のジャン・パウルの作品を。

機械男とは言っても別に銀河鉄道999の機械人間のようなものではなく(ちなみに「第四次元」には999の元ネタか?と思うような小話が連発)、何もかも機械に任せた方が進歩的だと思う男の話。20世紀を予測していたかのようなコピー機みたいなのから、ナンセンスの極みみたいな自動咀嚼機までいろいろ取り揃えている(笑)が…

 手足や技術や記憶や分別が自我の外に位置する度合いが大きいほど、つまり一切合財を引きずって歩かなくてすむほど、完成に近づくのだ
(p123)


なんかこういう人間の特性に着目した別の分野の議論を聞いたことあるような…
でも、18世紀が機械化の時代というなら20世紀は何なのだろうか。

ちなみに最後の「黄色テロ」は「パリを焼く」みたいな黄色人種禍の話か、と思ったけど、直接にはそうではなかった(ダダの作家の作品だから名前だけ借りてきたのかも)
(2013 09/19)

増えるうさぎと鉱山男

昨日は「ドイツ幻想短編集」から4編。なんかよくわからなかった子供と繊維の話、中国じみた場所での虎への変身譚、の他、標題に掲げた2つの話。
おもちゃのうさぎが増え続ける話は話自体は単純なんだけどなんか作品の一番の妙味は別なところにあるような気がする。それが何かというと…思いつかない…

鉱山事故で鉱石に若いまま50年間死体が保存された男の話は、なんか以前に似たような話読んだような気が…作品後の解説見て納得。ホフマンで読んだのね。もともとは暦物語らしい。これも伝承話の一つらしい。
(2013 09/20)

書くことと書かれてしまうことと


「ドイツ幻想短編集」はポングラッツの「日没」とハントケの「田舎のボーリング場のピンが倒れる」の2作品。この両作品くらい現代になってくると、幻想文学も単に日常世界からの逸脱という意味ではなくて、書くこと、書かれることの意味を問いながら並行していくことになる。
両作品とも書いていくうちに何らかのズレが生じ、そのズレを直そうとすればするほど逆にズレは大きくなっていく。それは書くことに内包された罠ではないか。自分の感想では前者の作品は書くことについての、後者の作品は書かれること書いてしまうことによって思考が固定されてしまうことについての、作品だと思うのだが…
(2013 09/22)

シティルフス、そして


今朝、「ドイツ幻想短編集」から最後の1編、ベルンハルトの「シティルフス農場のミッドランド」を読んだ。シティルフスというのはオーストリアーイタリア間の峠で、作品に出てくる農場は実際の村よりかなり高地に設定されている。そこまでして描き出したいものは何か。シティルフスという言葉を「人間」あるいは「人間の孤立状態」と書き換えてもいいくらいに、なんかトーマス・マンの精神だけをぐつぐつ煮詰めて緻密に再配置したような印象の作品。

でも、作品後の小解説では作者は(自分が農場から個人へと縮小解釈したのとは逆に)シティルフスをオーストリア→ヨーロッパ→世界全体へと拡大解釈をしているみたい。この作家もう少し突っ込んでみる価値ありそうだなあ(ハントケも読んでないんだけど・・・)。

でも、この作品と例えば「ロカルノの女乞食」みたいないかにも怪談な作品と併置してある、この短編集って・・・
その鍵は(今度は短編集全体の)解説にある。

 闇は、目に見える世界から引き揚げたと見せかけて、実はそう見た目そのものの内部に巣食う。
(p261)


夜が全くの闇→かがり火→ロウソク→ガス灯→電灯などと徐々に明るくなっていくにつれ、人間の持っていた闇への恐怖心や見えないもの(未来でも他人の心でも自己の存在そのものでも)への不安は外部から人間個人の中に入っていく。それもそちらの方が「いっそう紛糾して手に負えなくなりはすまいか」(p260)と編者種村氏は言う。
(2013 09/23)

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