「ラテンアメリカの小説の世界 想像力の目眩」 鼓直
北宋社
鼓氏は、「ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯」などの翻訳者会田由氏に師事し、「まだ、ラテンアメリカ文学は誰も手をつけてないからやってみなよ」の一言で、この世界に入った、という。
とりあえず、ボルヘスからプイグまでちびちびと。
ボルヘスは、第一次世界大戦まではヨーロッパ(ジュネーブ→スペイン)にいたが、戦後ブエノスアイレスに戻ってきて、その発展する都会ぶりに驚いた、という。この時代はこの間読んだ、ビオイ=カサーレスの「英雄たちの夢」の時代でもある。
それから、市立図書館の一等補佐員になったボルヘスは階段登る時頭を強く打ちつけ、生死の境を一か月もさまよった、という。やっと復活したボルヘスは、病床で「知的能力を試す」ために、作品を書く。それがボルヘスらしい純粋作品の先駆けである、「『ドン・キホーテ』の著書、ピエール・メナール」だったという。
で、今度は第二次世界大戦後、ペロン政権によって図書館員から左遷されたというのは知っていたけれど、その先が公設市場の鶏と兎の検査員だったらしい…そりゃ確かに左遷だ。
元々は映画の仕事を目指し、その途上で「自分の天職は文学である」と悟った、というプイグからはここを引用。プイグ自身が、ミュージカルや推理小説、メロドラマといった分野に興味があると言ったあと。
ここまで、ちびちび分。
ビオイ=カサーレス、「チリ亡命文学者たちの航跡」、ドノーソ、アレナス、カルペンティエル、パスタ、バルガス=リョサ
ここから、今日一気に読んだ分。
「チリ亡命文学者たちの航跡」からは、アリエル・ドルフマン「チレックス」。チリのピノチェト政権下を皮肉ったアンチユートピア小説。
ドノーソ文学を規定するもっとも大きなものが階級対立、という指摘は最初は意外に思った。でも読んでいくと確かにそう思えてくる。
アレナスの「めくるめく世界」は、読まなければならない…だろうなあ。やはり…
18-19世紀メキシコにおいて活躍したが忘れ去られようとしていたセルバンド師という人物に、当時キューバで活動を制限・監視されていたアレナスにとって「同士」と映る。この小説は、「ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯」のようなピカレスク小説を外枠に使いながら、一人称、二人称、三人称とまさに「めくるめく」変化する。客観性を読者に担保する三人称、レイナスが同士に語りかけ史実を押し広げる二人称、そしてセルバンド師他の空想的語りの一人称…
リョサからは、フロベールの「ボヴァリー夫人」を分析した「果てしなき饗宴」から、リョサ自身の特徴でもある二項対立を取り上げた箇所を。
(2022 09/04)
中村真一郎との対談とマルケスで、この本読み終わり。
前の住谷氏の「ルーマニア、ルーマニア」に引き続く、名翻訳者のあとがき他集。なので、以前読んだものとの重複箇所も多く、結構強引に読み進めた。
中村真一郎との対談では、マルケスに代表されるようなラテンアメリカ文学の文体を、取り込んでいこうとする文学者があまり日本にはいないという指摘。大江健三郎や金井美恵子などがその走りとなってこれからどうなるか、という見立てをしている。現時点では、どうか。あとはその続きとして、日本の作家はシュルレアリスムに真剣に取り組んでこなかった(これは中村氏自身も含む、と当人が語っている)のでは、とも言う。
マルケスでは「百年の孤独」あとがきから。
こういう視点はなかった、「百年の孤独」読んで、ヨーロッパのことを思い浮かべたことは、少なくとも自分にはなかった。でもマコンドの歴史は鏡に写せばヨーロッパ史ともなる…のかも…要考察。
(2022 09/05)
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