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「ニーチェと悪循環」 ピエール・クロソウスキー

兼子正勝 訳  ちくま学芸文庫(哲学書房版も参照)

読みかけの棚から
読みかけポイント:最初と解説をちょろっと。

 〈永劫回帰〉の啓示がニーチェにもたらしたもの、それは人格の同一性の下にうごめく無数の強度の解放であると本書は言う。
(p517 ちくま学芸文庫版)


上記(p517)の文は、渋谷森の図書館でちくま学芸文庫から引用したもの。で、図書館で検索して書庫から出してもらったら、哲学書房のハードカバー本。すごく厚くて重いが、いいこともあって、ページの文章の印刷範囲や文字の大きさが原著ではかなり綿密に考慮されているのだが、この哲学書房版はかなり忠実に復元しているという。そこまで読む時間は自分には今回はないけど…

 ニーチェと呼ばれるこの〈わたし〉。〈わたし〉は〈わたし〉のなかで病んでいる。たとえば〈わたし〉は考えようとする。しかしそのとたんに何かが思考を邪魔しにやってくる。頭脳は痛む。言葉は欠ける。〈わたし〉は考えることができなくなる。〈わたし〉の思考を邪魔するその何か、それは〈わたし〉には属していない。〈わたし〉のなかには〈わたし〉には属さぬさまざまなものたちが潜んでいる。
 わたしは同時にほかの無数のわたしであり、欲動の波のうねりにつれて刻々と変化するわたしのすべてが、わたしの複数性が、いまやまるごとわたしとして肯定されるのだ。そのわたしは名前を持たない。それは名前という同一性の原理を離脱した誰かであり、言葉という同一化の制度の手前で、矛盾や対立や散乱そのものとなって生きる誰かなのだ。
(p490 哲学書房版)

わたしの中の、わたしに属さぬ無数のわたし…
ぞくぞくする、わたしをまるごと肯定してもらったような、文章。
(2021 11/28)

「文化との闘い」から

 哲学は、衝動がついに語りだすための一種の機会やチャンスにすぎないのである。
 人が考えるよりもはるかに多くの言語がある。そして人間は、自分が望むよりもはるかに頻繁にみずからを暴露する。なんと多くのものが語ることだろう-しかし聴衆はいつもほとんど存在せず、それゆえに人間が告白のなかに自己を吐露するときには、いわば空虚のなかで無駄話をしているにすぎないのである。
(p25 哲学書房版)

人間の本性に、自身を暴露しすぎるというのがあるらしい。じっくり読まないと…
(2021 12/06)

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