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「フェルディドゥルケ」 ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ

米川和夫 訳  平凡社ライブラリー  平凡社

読みかけの棚から
読みかけポイント:実は、シュルツとセットの「世界の文学」で既に読んではいる。でも、たいした記録残ってないし、読み返したいので(それはシュルツも同様)…というわけで。

目次
フェルディドゥルケ
 訳者あとがき
 「世界の文学」版訳者解説

付録
 ブエノスアイレス版序文
 フェルディドゥルキストへの手紙

解説-非国民作家のエクソダス 西成彦
巻末エッセイ-不服従手引き 島田雅彦

「世界の文学」版訳者解説から
ゴンブローヴィッチ少年時代、戦争ごっこをやっていた時、上の階級で指揮官役のゴンブローヴィッチより下層階級の子の方が何かにつけてよくできたという。

 劣等感はわたしの永遠の理想となった。
(p491)


第二次世界大戦直前、アルゼンチンに渡ったゴンブローヴィッチはそれから23年半その地で過ごす。1963年ヨーロッパ(ベルリン→パリ→プロヴァンス)へと移住する。この頃はアルゼンチン時代とは異なり既に名声を得ていたが、それが老境に入った彼には「ヨーロッパは、わたしにとって、死でしかなかった」(p496)という思いを抱かせることとなった。

 いまや、血肉をそなえた個人としてのこのわたしは、自分がこの手で世にだしたゴンブローヴィッチの下僕だ。(中略)もう一度、この老骨にむちうって、今度はあいつ、あのゴンブローヴィッチを相手どり叛乱をおこすことができるだろうか? そんな自信はまったくない。この暴君の手をぬけだすため、さまざまな手だてを考えはするが、病気と年のせいで、わたしは衰えはてている。
(p496-497 死を前にして)


「フェルディドゥルケ」について
3つの部分とそれを区切る2つの短編。この短編はいずれも作者が登場する前置きが付く。シンメトリカルな構成は、前作の悪評に対する反批判なのだという。3つの部分は、これまた同じパターン、相反する二つの理念・価値がせめぎ合い、最後に劣った側の意表攻撃でそれまでの均衡世界が崩される。「つら」は「形式」、人間と人間の間に作り上げられるもの…ジンメルの「形式」にも似ている?

 もとより、人は高さを、完成した形式をもとめてやまぬものだが、と同時に、それに反撥し、正反対の方向にひかれるもの。なぜなら、完成は死を意味し、未完成はそのうちに無限の可能性をはらんでいるからである。未熟さは、力だ。
(p499)


(2021 07/11)

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