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「またの名をグレイス(下)」 マーガレット・アトウッド

佐藤アヤ子 訳  岩波現代文庫  岩波書店

文紀堂書店で購入。
(2023 04/01)


第8章「狐と雁」

一日おいて下巻に入る。
第28節で、前にラディッシュを持ってきてもらう約束があって、ジョーダン医師がラディッシュを用意した(塩は忘れたらしいが)。

 ご親切にラディッシュを持ってきてくれたので、お礼のつもりで、私は自分の話を、できるだけ面白く、さまざまな出来事について進んで話し始めた。親切には親切でお返しすべき、と常日頃信じていたので。
(p21)


もしこれまでのところでも、日によって気分によって話し方変えられたりしていたら、今まで読んでいた読者はどうなるのだ?
まあ、今日の読者にとって、グレイスの行動の謎を解き明かして罪の有無を判断することも、アトウッドの作品が整合性がとれていて全く矛盾がないことを証明することも、必要ない。お話(お噺)を毎回楽しんで何か得るものがあればそれでいいだけなのだから。

今日読んだところで2つの気になる箇所。
下巻に入って、ジョーダン医師は疲れているのか、心配事があるのか、少なくともグレイスにはそう見えている。下宿の夫人の件もあるだろうけど、グレイス関連についても何かあるのかな。今までジョーダンは「グレイスの無罪を解き明かすもう一人の主人公」くらいに思っていたけれど、実はそこまでの人物でもない?
50ページ進んだ今日の最後のところで、グレイスの誕生日(7月らしい)に暇になって、結局ジェイミーと遊んでいたのを、キニア、ナンシー、マクダーモットがそれぞれ見ていた。図式として、キニアとナンシー対グレイスとマクダーモットだと思っていたのだが、実はグレイス対他3人であったのか。そうなるとグレイスの立場がまた変わる。
(2023 12/11)

なんとか今日は100ページまで。
行商人ジェレマイアが来て、「ここはどうもよくない気がするよ」(p57)という。グレイスもなんとなくそう感じていたらしい。ジェレマイアは、前のメアリー・ホイットニーの死因も知っていたようで、グレイスは詳しくジェレマイアにそのことを話す(ただ、ジョーダン医師にしているように、メアリーが医者のところへ行った話だけは伝えなかった)。

 話し終えると、悲しい話だな、とジェレマイアは言いました。あんたに言えることは、グレイス、今日の一針は明日の十針、ということだ。
(p53)


同じページのちょっと前の箇所では「未来は現在の中に隠れている」ともいう。確かに、メアリー・ホイットニーの時の構図がもっと複雑になって、今のキニア氏の屋敷に内包されている。
さて、そのキニア氏だが、今まで読んできているところではグレイスに結構寄ってきていると思いきや、やはりナンシーとかなり親密な掛け合いをしている。そしてグレイスは、身体の不調と感情の起伏の激しさなどナンシーに見られる様子を、メアリーと同じ(つまり妊娠している)と直観する。さっきのジェレマイアの直観と一致したわけだが、キニアにしてみても、パーキンソン家のジョージにしても、随分お気楽というか無責任にそういうことをして、子供とか女中のその後については全く感知していない。今から見れば問題ある行動だが、当時はそれが半ば当然のように行われていた(だからパーキンソン夫人もすぐに思い当たった)…現代よりも気晴らし手段が全く無い社会で、そうしたことのみが気晴らしであったのか。

上巻からずっとそうなのだが、グレイスという女中見習いを視点人物にしていることにより、この小説は「女中仕事(家事仕事)小説」でもある。その仕事の詳細を描くことも、アトウッドにとっての問題意識であったと思う。殺人事件の謎よりも場合によっては、家事と当時の女性の立場の描き方の方が興味深いかも。逆に、ジョーダンパートの、ハンフリー夫人とジョーダンの家事・家政の拙さは、表のグレイス達の女中仕事に対する、裏の進行なのかもしれない。
あとは、ナンシーがグレイスについて「幾度か大声でひとり言をいっている」と言っている、それはナンシーのやっかみというわけではなく、メアリーが亡くなってからメアリーの声を聞いたり、この後夢を見ながら夢遊病のように外を歩き回っていた(起きてみると土の汚れが付いていた)など、グレイス側の(読者の)信頼がまた一つ崩れかけてきている。謎の核心来た時にどういう展開になるのか、全く見当つかない…
(2023 12/12)

第9章「心臓と臓物」

昨日から少し入っている。
第33節は短いけど、引用したい文章てんこ盛り。

 自分たちの考えたことを人に押しつけて、当人の口からしゃべらせる連中が常にいるからだ。それにその手合いというのは、祭りか見世物で、自分の声を木彫りの人形が話しかけているように見せかける手品師のようなもの。裁判の時はまるでその通りだった。
(p100-101)

 目を見開いて暗闇を見つめていると、必ず何かが見えてくる。花でなければいいのに。でも今はちょうど花の育つ時期。真っ赤な花々。サテンのような、ペンキをぶちまけたような光沢を放つ真紅の牡丹。無の中から生える花。何もない空間と沈黙。「話しかけて」、と私は囁く。沈黙のうちに草花がゆっくり育ち、真っ赤なサテンの花びらが壁沿いに落ちていくよりも、おしゃべりをしているほうがましだから。
(p103-104)

 自分が物語の渦中にあるときは、どう見ても物語の体をなしてなく、ただの混乱。暗闇のうなり、あるいは氷山に押し潰されたか急流に飲み込まれた船のように、中にいる者にはそれを止める力がない。少しでも物語と呼べるようなものになるのは、後のこと。自分に、あるいは誰かに語っている時に。
(p106)


いよいよ事件の日(土曜日らしい)が、グレイスの語りでは近づいてきた。p103-104の文章の赤い花びらというのはこの後行う殺人の時の血の印象が強固に残っているのだろう。

次の箇所。火曜会という監長宅の集まりで、ジョーダン医師はスピーチを行う。その後で懇親会のような集まりになり、ジョーダンはジェローム・デュポン博士と話す。デュポンはグレイスを催眠術療法にかけてみたい、と申し出る。ジョーダン医師は折角築き上げたグレイスとの結びつきを壊されることが気に入らないが、最後にはやってみることになる。一方女中達は(ここで、前にハンフリー夫人のところの女中を辞めたドラがなんとここにいることが判明する)火曜会にケーキを出す準備をする。グレイスも手伝うのだが…そこにあの行商人のジェレマイアがいるとグレイスは気づく、ドラにしてもジェレマイアにしても作品舞台中央に集まってきたなあ、と自分は思ったけれど、次の展開にはかなり驚く。

 すると監長夫人がこうおっしゃった。グレイス、今はそんなことは放っておきなさい。お前に紹介したい方がいらっしゃるのよ。私の腕を取ると、私を客の前に連れていった。こちらがジェローム・デュポン博士、著名なお医者さまなのよ。ジェレマイアは私に会釈をして、初めまして、マークスさん、と挨拶した。私は依然混乱していたが、どうにか平静を保っていた。
(p119)


読んでいる時、こちらも混乱してて全く書いてあることが信じられなかったけれど、確かにジェレマイアはジェロームだと書いてある(そういえば、前に読んだところでジェレマイアが頭文字が「J」の人物に扮して逃げる、とかいうこと言ってたような。まるで、同じ画家の別の二作品の人物が、違う絵に入り込んで違う誰かになりすまして悪戯しているようだ。ということは、デュポン改めジェレマイアが催眠術かけるのか? 今日読んだ最後のところでは、ジェレマイアは見世物のような感覚での催眠術はやったことがあると書いてある。
(2023 12/13)

例の事件時に近づいてきている…と思ってはいたけれど、今日読み始めてすぐ、そして呆気なく事件の描写が来た。

 台所に行って、鎧戸を開けました。前の晩の皿やグラスがテーブルの上に出たままで、とてもうら悲しく侘しい様子でした。その食器で食べたり飲んだりしたみんなの上に大きな災難が突然降りかかり、何年か後、偶然私がそこに出くわしたようです。とても悲しくなりました。食器を片づけ、流し場へ運びました。
(p138)


これはまだナンシーもキニアも殺される前の時…でも実際この言葉で思い返しているのは、十数年経った今のグレイス。そこから光景を逆算して作り出して、そこから感情も自動的に算出されているのかも。

この章で気になるところ3箇所。
1、あのグレイスを慕っていたと思われるジェイミー・ウォルシュが、裁判の証言ではグレイスに不利な証言をしている。グレイスは陥れようとする狙いがあった、と考えているよう。
2、ジョーダン医師がハンフリー夫人の家(もうドラが戻っている)に帰ってきた時、夫人は目がすわって両手がわずかに震えていたという。この時代(今も似た事例は事欠かないだろうが)の女性の置かれた従属的立場というのがこの小説のテーマの一つだとすれば、ハンフリー夫人とグレイスは相関関係(たぶん負の、グレイスが自分の声を取り戻していくにつれて、ハンフリー夫人は閉じこもっていく。そしてその二人はどちらもジョーダン医師のすぐ近くにいる)にあるのだろう。
3、ナンシーを殺害し、帰ってきたキニアも殺害したマクダーモットは、グレイスと逃避行をする。出ていく時、こんな非常時なのにグレイスはいろいろ片付けたりしている。この小説は女中を焦点人物にしている女中仕事小説でもあるのだということがよくわかる。
…でも、実際はこのグレイスの証言通りだったのかどうか。夢遊病というのがこれから中心主題となるのかも。

第10章「湖の麗人」


マクダーモットとの逃避行。チャーリー(馬の名前)とともに。マクダーモットはグレイスとの性交を狙っている。

 でも、見つめているうちに、煮立った牛乳に張る薄皮のように、空の一部に皺がより始めました。もっと堅く、もっと脆く、そしてつぶつぶと、暗い砂浜のように、または黒い絹ちりめんのように。やがて空は、紙のように薄い表面に過ぎなくなり、焼け消えていく。あとに残ったのは冷たい闇。私が見つめていたのは天国でも地獄でさえもなく、ただの空虚でした。
(p171)


この幻想を見た後、またすぐに星空が戻る。
(2023 12/14)

 男はいったん小金を持つと、どうやって手に入れたかは問題ではなく、とたんに自分はその金を好き勝手に使う権利があると思いこみ、お山の大将を気取ってしまうと。
(p174)


…耳が痛い…
それはともかく、ここはトロント。マクダーモットはキニアから奪った金を使い、キニアの馬(チャーリー)と馬車をトロントで乗り回そうとしていたらしい。グレイスの忠告で馬車は脇道に隠したが、その前に既に馬車は気づかれていた(キニアは何回もトロントに来ていた)。
とりあえずは湖を渡りアメリカのルーイストンまでたどり着いた。彼らは安宿で一泊する。マクダーモットの誘いをなんとか断り、隙あらばマクダーモットから逃げようと考えながら寝る。そして夢を見始める。

 しかし、波は動き続け、船の白い航跡を一瞬だけ残しますが、すぐに元の滑らかな水面に戻りました。その様子はまるで私の残してきた足跡が消し去られていくようでした。小さい頃、砂浜に残した足跡、去った故国の小道に残した足跡、そしてここへ来てから、大洋のこちら側に残した私の足跡。銀の黒ずみを磨いて取るように、あるいは、乾いた砂を手でならすように、すべての私の痕迹が、まるで初めからなかったかのように、擦り取られ、滑らかにされていきます。
(p184)


これはグレイスの願望でもあったのだろう。そして、人はただ一人になる。そして、ここで二人は逮捕されることになる。

第11章「伐り倒される木々」


というわけで、ここからは逮捕されてからの話になる。
といっても、なぜかジョーダン医師はいなくて、グレイスが「こう先生に言おう」と考えていることが語られる。これはどういう効果(あるいは意味)があるのだろうか。実際にジョーダンが何の用事があったのかはここでは考えずに。ジョーダンがいた方が語りが正確になる? それとも想像の脚色が増える?

 「容疑者はむっつりした強情な表情と不敵な反抗的態度」をもって審問に臨んだと新聞は書きましたが、それは新聞の表現の仕方だと思います。
(p202)

グレイスはメディア論にも到達していた…
新聞の「文法」とか「用語」とか。実際のグレイスより「こういった事件の時はこう書く」という決まりというか手癖というか。
そして、ここにマッケンジー弁護士と作家?のスザンナ・ムーディ夫人が現れる。マッケンジーは「信じてもらえそうな話を語るべき」といい、グレイスが横道に逸れると怒り出す。意外にもマッケンジーは若くこれが初めての裁判の仕事だったらしい。
(あと、J(名前)とM(名字)で始まる名前の人多いよね、上巻のメアリーとのリンゴ占いでも「グレイスはJのつく名前の人と結婚する」とか。ジェレマイア? ジェイミー? ジェイムズ…ではないか…)

ムーディ夫人は、この小説形成においても重要な人物。アトウッドがこの事件を知ったのは、このムーディ夫人の記録がきっかけ。そしてそれを元に「女中」(1974 テレビドラマ脚本)を書いている。そこでのグレイスはムーディ夫人の描くグレイスで、それからずっとアトウッドは「実際にはグレイスはどうだったのだろう」と探究していったのがこの「またの名をグレイス」。そのムーディ夫人をグレイスは「カブト虫」と喩える。ジョーダン医師(ここの回想はジョーダン医師も在席した前回のもの)も読み手も驚いてしまう。
(2023 12/15)

 彼は抑制できないような欲望に突き動かされていた。しかしそれとは別に-シーツが波のように乱れ、ころげ回って、快楽におぼれ喘いでいる自分とは別に-腕を組み、衣服を着け、ただ興味深げに、ただ見守るだけの、もう一人の自分がいる。
(p221)


別れた意識、人間であればこのような感覚はたまに感じるが、それがのちの話の布石ともなる。

第12章「ソロモンの神殿」


ジョーダンはトロントへ向かい(前章でジョーダン医師がいなくてグレイスは一人で話していた)、マッケンジー弁護士と会う。

 「…グレイスがあなたをずっと騙してきたと? じゃあ、別の言い方をしましょう-『千一夜物語』のシェヘラザードは嘘をついたでしょうか? 彼女の目からすればついていないでしょう。実際は、彼女が語った物語のひとつひとつを、『真実と虚偽』という厳格な分類にはめ込むべきではありません。まったく別の次元に属しています。恐らく、グレイス・マークスは望み通りの目的を果たすために、話す必要があることを単に話してきたのでしょう。」
 「目的とは?」
 「サルタンを楽しませておくために」
(p237)


「読者も楽しませるために」とも言いたくなるが、そこは一旦保留し(笑)、グレイス=シェヘラザード説は説得力ある。今日読んだ最後に引用するの作者アトウッドの言葉(p387)も響いてくる。ここでは直接には「サルタン」はジョーダン(また当時のマッケンジー)を指しているが、事件直前のグレイスにとっては、それはマクダーモットであっただろう。女性は常にシェヘラザードとなる状態にある。

翌日、リッチモンド・ヒルへ出かけ(貸し馬屋で借りて)、キニア邸とキニア、ナンシーの墓を見る。その帰り道、ジョーダンはメアリー・ホイットニーの墓を見にいく。

 確信が自分の中でぱっと燃え上がった-彼女の話は本当だ、もしそうなら-しかし、それはすぐ消える。この程度の物理的証拠に何の価値があるというのだ? 手品師はシルクハットの中からコインを取り出してみせる。本物のコインだし、本物の帽子だから、いま見た手品も事実として起こったと観客は信じる。しかしこの墓石はそれだけのもの、ただの墓石だ。そこには何の日付も記されてはいないし、その下に葬られているメアリー・ホイットニーはグレイスとは何の関係もないのかもしれない。ただの名前、石に刻まれた名前であり、ここでその名を見たグレイスが自分の物語を作り出すために利用したのかもしれない。
(p257)


これも後で大きく響いてくる箇所だが(物語機能的には、かなり前に出てきて直後にクローズアップされる要素の、直前で読者に思い出させる効果だろう)、手品の喩えは、この話越えて、人の認知全般に関わることではないか。

 「人殺し女」、「人殺し女」、サイモンは呟いてみる。その言葉にはある種の魅力、芳香のようなものがある。温室のクチナシ。どぎつい香りを持ちながら、同時に密やかな香り。グレイスを引き寄せ、唇を重ねながら、その匂いを吸い込む自分の姿を想像する。
(p259)


だんだんジョーダン(サイモン)にも信頼が置けなくなってくる。ジョーダン=サルタンはこれからどうなるのか。そしてジョーダンは本当にグレイスは無罪だと思っているのか。

第13章「パンドラの箱」


いよいよデュポン博士(というかジェレマイア)の、グレイス催眠療法実験が始まる。ジョーダンが「君は本当にマクダーモットと関係があったのか」と聞くのも驚いたが、グレイス(と仮にしておく)が語った内容はもっと驚いた。メアリー・ホイットニーが彼女の中に入り込んで、ナンシーの殺害をした、というのだ(ここで先のp257の言葉が生きてくる)。確か上巻でメアリーが亡くなった時、窓を開けなかったからメアリーの魂が出て行かずに残っている、とグレイスは語っていた。そしてメアリーの声が聞こえる、とも。メアリーもナンシーも主人一家の男の子供を孕んでいるから、メアリーがナンシーに対して嫉妬したとしても不思議はない。

さて、終わった後、男達はどう解釈するか話し合う(もっとも、デュポン(ジェレマイア)=グレイスの手品であるという可能性もあるが)。
次の引用はデュポン博士の言葉から始まる(ここではジェレマイア性?は全く見せない、ジェレマイアの方が裏なのか、とも思ってしまう)。

 「…違う意識の『状態』が交互で現れるだけではなく、二つの別人格が、そしてそれらが同じ体の中に共存して、しかも全く違う記憶を持ち、実際上は二人の別々の人物のような実例もあるでしょう。もしも、つまり、記憶こそ我なりという議論の多い説をみなさんが受け入れるならばですが。」
 「恐らく」、サイモンは言う。「圧倒的に、忘却こそ我なりとも言えるでしょう。」
(p285)


もし、グレイスの催眠療法実験がペテンでないとしたら、今の自分に一番納得できるのはこの説明なのかも。クエネル夫人のように「メアリーの霊が乗り移った(降霊術)」というのは19世紀半ばのこの時代でさえ時代遅れのようだ(でも「魔の山」でも降霊術してたしな)。今で言えば(といっても現代精神医学でどう扱っているのかは無知だが)多重人格者となるのか。記憶と忘却の件は、たぶん両者で1セットということなのだろう。記憶は忘却から生まれるし、忘却は記憶することで可能になる。そう考えていくと多重人格というのも結局は一人の人格が作り上げたもの、となるかもしれない。とにかく、この後続くベリンガー牧師の議論も含めて、一人の人間に潜む屈曲した人格の層と二人以上の人格共存というテーマが浮き彫りになる。
そして、それを裏書きするかのように、ジョーダンとハンフリー夫人(もう、ちょっと前から「レイチェル」になっている)との関係も修羅場になっていく。夫の少佐が戻ってくる(この話も本当か?)から、殺してアメリカに逃げようとか、ますますグレイスの話の陰画化してくる。前の実験の時にもリディアの手から性欲を感じたり、p259の文なども見ると、この小説の本当の主人公はジョーダン自身ではないか、ジョーダンが正気を失う話なのでは、と思えてくる。そしてジョーダンは全てを置いて鉄道で去っていく。

では、予告した?訳者あとがきから、アトウッドの言葉を。

 今日私たちは、記憶の信頼性、物語の確かさ、時代の連続性に不安を持った二十世紀の終わりに生きています。これがヴィクトリア時代の小説に出てくるグレイスなら、『今、すっかりそれを思い出したわ』と言うでしょうが、『またの名をグレイス』はヴィクトリア朝の小説ではないので、グレイスはそんな言い方はしません。言ったとしても、もはや、信じますか?
(p387)


やはり、こちらもシェヘラザード=アトウッドの紡ぎ出す物語に酔い浸るのが一番か。そして、シェヘラザード=アトウッドが見ているサルタンとは何者かに思いを馳せる。
300ページ…
(2023 12/16)

第14章「Xの文字」

とりあえず、今日読み終えた。
小説全体のクライマックスはやはり昨日の催眠療法実験のところで、今日読んだ2章は「後日談」的なところ。

複数の書き手(と読み手)からなる手紙の章。ジョーダン医師は母親の家に帰った後、ヨーロッパのビンズワンガー(だからこれはフーコーコレクションに出てくる人物のことか?)のところへ向かう。しかし、この時期、アメリカで南北戦争が起こり、ジョーダンは軍医として北軍に参加。負傷して一部記憶喪失に…幼い頃のことは思い出せるのだが、グレイスのことなどは全く思い出せない。レイチェル(ハンフリー夫人)はジョーダンの母親の家に狂気か恐喝的な手紙を送り続けている(この手紙自体は小説には出てこない)が、母親は取り合わない。
グレイスのところにも来ているドラが、ジョーダンとレイチェルについて話しているが、グレイスは「作り話」だと思っている(自身も作り話したからか、でもドラの話は半分以上は小説記述と一致する)。同じくグレイスの、ジェレマイア宛の手紙は、あの催眠療法実験について何かわかるかと期待させるが明確にはされず。監長の娘リディアはジョーダンがいなくなってから一時男達と遊ぶようになったが、やがてベリンガー牧師と結婚する(これに一番驚いた)…このことに対し、グレイスが何もかもわきまえたような言いっぷりで語っているのが笑える。

 愛していない男と結婚するのはよい計画ではないが、多くの人がそうして、時間がたつにつれて慣れてくるのです。そしてそれ以外の人は愛して結婚し、ゆっくりと後悔する、と人は言います。
(p318)

第15章「楽園の木」

 不完全こそ我らの楽園
(p339 ウォーレス・スティーブンスの詩)


章最初の引用コーナー?から。あれ、ヤコブソン、ロッジに次ぐ、スティーブンスか…「我ら」というのはアトウッドのような作家のような人達かな…でも、グレイス始め、マクダーモット、レイチェル、ドラなど、みんな好き勝手に話作っているんだよね、この小説。

そしてなんとジョーダン不在のまま、この小説意外にもハッピーエンド(っぽい)で終わる。1872年8月、ついにグレイスは釈放された。監獄に30年。その時45歳(これは事実らしい)。そしてアメリカ、ニューヨーク州の「用意された家」まで監長(もうジョーダンの頃の監長とは違う人物)の娘ジャネットが送ってくれた(ここまで事実)。そして、そこに待っていた「用意された家」の男はジェイミー・ウォルシュだった…ウォルシュは、グレイスに対して不利な証言をしていたが、後に考えを変えてグレイスに赦しを請うようになる。ウォルシュの農場の小さな家で、グレイスはまた女中仕事を自分と夫ウォルシュのためにしていく。

 その部屋はとても大きく、怖くなるほどでした。私はシーツを頭の上まで引っ張り上げて、目の前を暗くしました。すると、まるで自分の顔が溶けて、誰か別人の顔になっていくような感じがしました。
(p343)


これは、監獄で釈放を知らされて看守長の屋敷の予備の客間で寝ていた時のこと。30年も経つと、そこの環境に慣れて寝つけない。グレイスはこうしてシーツに包まれて、遥か昔、同じくシーツにくるまれて氷山の海に沈んでいった母親を思い出す。

 振り返るということは旅立ちを後悔し、再び帰ることを望んでいるということにもなります。
(p353)


監獄を出ていく時。振り返ったら塩の柱にされたロトの妻の話も引き合いに出して、振り返ることの危険性を感じる。母親を作るというのは振り返らなければできず、それは常に狂気と隣り合わせ…とも思う。
ウォルシュは夜な夜なグレイスの話を聞きたがる。そして赦しを得ようとする。それを知っているグレイスは、監獄生活の悲惨さを誇張して語る。グレイスは自分の中でジョーダンに語りかけながら「先生もウォルシュと同じだった。先生の聞きたい話を探り当てて話すと、先生は柱時計の太陽のようににこにこしていた」と回想する。「女中仕事と話作りの本能」これが今回読んだこの本のテーマだった。

ちなみに英語原題は「エイリアス・グレイス」。昔?のWindowsだ…
(2023 12/18)

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