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「不協和音 管理社会における音楽」 Th.W.アドルノ

三光長治・高辻知義 訳  平凡社ライブラリー  平凡社

読みかけの棚から
読みかけポイント:あとがきと序盤を少し…

平凡社ライブラリーでは、アドルノの音楽論集もう一冊、「音楽社会学」というのもある。

アドルノがアメリカに渡った時、受けた「カルチャーショック」。その体験を、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」を念頭において書かれた「音楽における物神的性格と聴取の退化」を始め、「新音楽」(シェーンベルク以降の現代音楽)批判や、「音楽上の青年運動」(ナチス以前から戦後まで)への批判など、様々なタイプの論文を集める。

 「感覚的に快いものが、一転して吐き気の対象になる」
(p311)


三光氏の後書きより。好きなアイドルが同時に嫌いなアイドルでもトップになるという番付から。
(2016 02/27)

 部分要素が、お定まりの全体に対して、批評的に働くということもなくなってしまった。
(p24)


ここからアドルノの考え方を捉えてみると、要するに全体にたいしてある部分が反旗を翻して?新たな地位を構築し始めることがある、ということ(それがなくなったとここでは論じているのだが)。その代表例は、アドルノのお気に入り(「観相学」なる書物も書いている)マーラーだろう。マーラーの各要素はいつでも全体から飛び出していくことを待っているような感がある。一つの楽章という単位に留まらず、その内部の様々なフレーズ単位でも。
この論文「音楽における物神的性格と聴取の退化」の前に、アドルノはジャズの論文を書いているのだが、そこではこの観点はどうなっているのかな(もっともアドリブ重視のジャズの隆盛はも少し後か?)
(2016 03/06)

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