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「パウリーナの思い出に」 アドルフォ・ビオイ=カサーレス

高岡麻衣・野村竜仁 訳  短篇小説の快楽  国書刊行会

裏表テクスト


ビオイ=カサーレスの「パウリーナの思い出に」(短編集)。ビオイ=カサーレスの3つの短編集から計8作品。
昨夜読んだ標題作は「モレルの発明」と同時期らしい。ので、テーマも執拗に同じ。どちらが祖型でどちらが副産物なのか…まあ、どちらにしてもよくできた作品だという感じ。
パウリーナの姿を主人公の側からも恋敵の側からも読むことができる、という構成。その恋敵が書いた作品に出てくる装置は後に(前に?)「モレルの発明」や「脱獄計画」で全面展開される…
(2013 08/26)

突然な終わり方とドイツ文学


「二人の側から」。郷愁を誘い出すような淡々とした書き出しから、別の世界に飛ぶという男女の幻想世界が始まる。男が先に、女がそれを追う。それを見ていて手伝ってもいた少女は…あら、意外にも現実主義だったのね。というお話。でもなんか旅立った男女の結末がわからず変な浮遊感が残る作品。

次の作品(中編といってもいいか…)を少し読み進めるが、なんかこの作品、ビオイ=カサーレスのドイツ文学へのリスペクトから書かれているのかな。言及されているカフカしかり、雪山のサナトリウム的な魔の山しかり…

ミイラ取りがミイラになる、作家が作中人物になる


ビオイ=カサーレス短編集から昨日から読んでいた「愛のからくり」を読み終わりました。作品の鍵はバッカス神の幻想行列と音楽であったわけだけど…

語り手はp71では「自分は記録作家なのだ、役者にはなれない」と言う。ところがp85になるとバッカス神の音楽のせいで皆が自分の役回りを(強調して)演じている、どこかに記録作家がいて記録しているみたいに、と語るが、記録作家は自分じゃなかったのかな?でも語り手も音楽聴いている…
標題のような原稿用紙でメビウスの輪でも作ったような構図になっているが、ビオイ=カサーレスは語り手に巧いことを言わせている。

 船旅の仲間を忘れてしまうのと同様ーすでに遠い過去の存在となっていた。
(p91)


この感覚わかる…でも作者(この場合はビオイ=カサーレス)にとっての作中人物もそういうものかなあ。
とにかく役者逹は日常に戻ったわけだ…一人を除いて。

あと、思ったことをちょっとだけ付け加えると、自分的にはバッカス神云々という仕掛けはいらなかったのでは? それ抜きで船旅仲間感覚や役者感覚は突き詰められたと思うし、その方が凄みが増しそう…例えばこの作品のモチーフをブッツァーティに与えたら、シンプルに凄みを追求する方向に書いていたと思う。 

でも、そうではないやはり愛について何か語らないといけないのがビオイ=カサーレスなんだろうね。その辺がタイトルに滲み出ているのか。 
なんとなくコルタサルの作品と比べてみたいような気も。 
(2013 08/27)

自己同一性と移民の国


昨日「墓穴掘り」と「大空の陰謀」の冒頭。
今まで読んできた作品含め通底するのは自己同一性というものの危うさ。

「墓穴掘り」について言えば、最愛の娘を亡くした男にとってフリアは別の女ではなくその娘そのもの。であるわけはないけれど、その男の立場になってみるとそう信じてしまうのもわかる。そういう理解の効能?がこういう作品を読むことにはある。ちなみにこの作品はビオイ=カサーレスにしては珍しく(なのか)幻想味は少ないサスペンスタッチの作品。

「大空の陰謀」もなんとなく中心人物の自己同一性が問題になりそうなのだけど、ここ読んで感じたのは、移民がかなり多数を占めるアルゼンチンという国。アルメニアとかウェールズとかそういうところのアイデンティティーを引きずりながら、また目の前の他人がそういうものを引きずっているのを半ば前提としてコミュニケートしているアルゼンチンという国。そこを見ていくと何故アルゼンチンに幻想作家が多いのかがわかるのかもしれない。先ほどの自己同一性の問題も…

そいえば、ドイツ文学へのリスペクトとか言ってた「愛のからくり」も、最後はドイツ系移民が出てきた。
(2013 08/29)

自分の鏡像を調べる男


昨夜から今日は「大空の陰謀」と「影の下」。
標題は内側の語り手の医師?の蔵書に貼ってある票のデザインから。この語り手の姪からは「結局、自分のことしか考えていない」とかなんとか思われているんだけど、ビオイ=カサーレスの作品の登場人物自体がそういうところないかい? 全部作者の分身というか万華鏡に映った映像というか。
さて、作品の鍵はまさしく万華鏡的無数の世界論。こういう世界観ってずーっとあるし、ちょっと読んでて「エペぺ」思い出したところもあるけど、最後に外側の語り手が示す解釈をよく見ると、結局現実の(作品中の「ぼくらの」)世界内で登場人物の飛躍は完結していてパラレルワールド同士で交差しているだけ。開かれているのか、閉じているのかわからない…

で今朝から読み始めた「影の下」はどこかの熱帯の島の話。これまた熱帯の光が万華鏡化を引き出しそうであるけれど、その世界は閉じそうでもある。しかもこれもなんか「エペぺ」じみている…
(2013 08/30)

すぐそばにあるパラレルワールド(鳥を見つけよう)


今朝はちょっとブランクありの「影の下」。語り手がふと降りた熱帯の町でロンドンでの旧友を見つける、その旧友が語る話の中で彼が恋人の不実を見つける、その両者ともなんか事実とも幻とも思えるような印象。その両者になんらかの鳥(服のロゴや人名含む)。今読んでいる途中の対岸の恋人がいるホテルが燃えて死者がいるかいないかも情報が錯綜している。

別のパラレルワールドに入るのは特別なことではなく実に日常的なことである、というのはビオイ=カサーレスにもコルタサルにも共通する。解説にはコルタサルのそれは崩壊していくけど、ビオイ=カサーレスのそれは共存している…とか書いてあったような。
意外と毎日いろんなパラレルワールドに出入りしているのかもしれない、気づかないだけで…
「影の下」はまだまだ続く。
(2013 09/02)

パラレルワールドが交差する時


「影の下」昨夜読み切り。なんだかコンラッド(冒頭に直接言及有り)とプルースト(「スワンの恋」との連想、白鳥名前含む)がミーツアフリカしたようなこの作品。ラストは大どんでん返し…ということはないものの、じわじわといろんな考えが波のように伝わってくる、そんな終わり方。
例えば語り手の友人の「英国人」の幻想のタネの一つとして語り手の来訪が取り上げられているわけだけど、語り手の方もこんなところで会うはずのない「英国人」を幻想としても見ている。お互い幻想のパラレルワールドだったら、それが交差すれば…
語り手が「英国人」が見せてくれると言った恋人の写真を見ずに帰った、というのもなんとなくわかるような気がする。交差したパラレルワールドの静かな均衡を破ることはしたくなかったのだろう、好ましい夢を見つつ目覚めそうな時に目を開けないようにする時のように…
(2013 09/03)

終わりと始まりの呼応


今日から「偶像」。古物商、コレクター、フランスブルターニュの村の古城…と幻想譚の王道まっしぐらな掘り進み方、と思いきや、またブエノスアイレスに戻ってきた。犬の偶像や使用人の娘などまるで夢の残像みたいに残しつつ。この話の構造の上り下り感が読者に目眩をもたらす仕掛けの一つなのだろう。
そして、鍵を握っているらしき古城の盲目の主人は顔を出さない…
(2013 09/04)

「偶像」を昨夜読み終えました。夢なのか現実なのか入り交じったらしいといえばらしい作品。夢から覚める時の表現で釣られる魚に例えたところがあったが、これはプルーストを意識したのかな。覚めるというのを受身に変化させた…
「パウリーナの思い出に」とかこの作品とかはだいたい「モレルの発明」とほぼ同時期の作品。なので(?)かっちりとした精緻な構成が特徴。この作品も読み終わって気になっても一度始めのページを見直すとまた変な感情がぶり返す、というそういう仕掛け。
今思ったが、この作品は「書く」ということについての、作家についての、オマージュなのか。先のプルーストとかコーヒーがぶ飲みで書き続けたバルザックとか…
(2013 09/05)

世界の終わりと人間の存在

金曜から土曜にかけて「パウリーナの思い出に」の「大熾天使」読んだ。硫黄の濃密な大気、魚の大量死など世界の終わり的な事件が次々起こっているのに、主人公以外は(事件のことは意識しているが)なんか日常的に生活しているという不思議な、作品。今自分たちがひっくるめて「現実世界」と呼んでいるものも、ビオイ=カサーレスにしてみれば何層にも重なりあう幾つもの世界の集合体なのかもしれない。そしてそれは横擦れや断層を多く伴う。

「パウリーナの思い出に」ビオイ=カサーレス短編集を先程読み終えた。最後の2作品は動物の顔に亡くなった人物や歴史上の人物の顔が二重映しに見えてしまう、この作品集の中では短めの「真実の顔」と、それから「雪の偽証」。

 私という存在はその記憶にすぎない。
(p306)


 作品だけでなく彼の人生そのものが、そうした記憶の寄せ集めに他ならない。
(p312)


これらの文の書かれた文脈はいろいろ違うが、人間存在の同一性への作者の疑いは一貫してあると思う。肉体というものが自由に飛び回りたい魂に「圧制」を強いる「影」である、とするプラトン的思想からこれらの疑い、そして作品は生まれてきたのだと解説にはある。
しかし、これら2作品それから「大空の陰謀」などには政治的批判の視点もあるらしく…まだまだこの作家については明らかになっていない研究の余地があるのではないか。
(2013 09/08)

補足:再読「大空の陰謀」


「ラテンアメリカ怪談集」から。
こちらの訳は安藤哲行氏。
前には引用していないと思われる細かいところを引いてみる。

  ロイド・ジョージとウィリアム・モリスの胸像も同じで、その二つは、かつては、私の楽しい怠惰な青春時代を眺めていたが、いまは、私を見つめていた。
(p246)


眺めると見つめる、どう違う?

  政治学と社会学は隠秘学に隣接するものだからだ。
(p271)


とりあえず…意味があるような…
前にこの短編読んだ時には、移民国アルゼンチンということを書いたような気がするが、今回は消滅したまたは拡散した民族が頻出するのが気になる。アルメニア、ウェールズ、そしてカルタゴ…
あと、複数世界の古典文献を紹介するのがそもそもの発端かも。デモクリトス、キケロ?  ブランキ??
(2019  04/03)

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