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雨の日の考え事☔

雨がザーザーと降っていく。
暖かな日差しを感じていたこの頃。やっと慣れてきたと思っていた関西地方での暮らし。
天気は一転して雨で、なんだか泣いてしまいそうになる。
「泣いたってどうにもならない」
「泣いたら変わるのか?」
「泣いて助けてもらおうなんて虫が良すぎる」
これはきっと正当な意見だから向き合わなきゃと、泣かないように生きていた。
気づけば、泣くことに拒否反応が起きるようになってしまった。
素直に泣ける人間が羨ましい。ほんの少しだけ苦しくなったんだ。
泣き虫だった僕、強くあろうとすればするほど空回りをしていた気がする。

筋トレしたら強くなれるかな?と思い、腹筋100回やっていた高校時代。お腹は割れなかったし、寝不足になった。なぜか寝れなくなってて、ギンギンに目が冴えた。と思うと、昼間の授業中眠くなってしまったりしていて、階段を降りている時落ちそうになったことは何回かあったな。

昔から空回りしていたけれど、よくよく考えると、今の自分を完全否定していた気がする。このままじゃだめだ。全く違う自分に生まれ変わるくらいじゃなきゃダメだって。

私は、弱くて泣き虫で、寂しがり屋の意地っ張り。めんどくさくて、素直になれない人間。

こんなめんどくさい人間を誰が好きになってくれるんだろう。いつも思ってた。

私は取り繕ってたつもりだったけど、見る人が見たらそれが仮面だとすぐわかるんだと思う。

滑稽でボロボロになった仮面にいつまでも縛られる。「笑顔」っていう仮面をつけ続けていたんだ。ただ相手の顔色をうかがうだけの仮面。

それでも、私の事を好ましく思ってくれる人たちもいたのに。私は誰のことも信じてあげられなかった。今振り返ると、とても酷いことをしたと思う。もし、あの日に戻れるなら私は差し出された手を掴むことが出来たかな。

今とはまた違う世界線に行けたと思う。

こんなふうに振り返ることが出来たのは、きっと、今一緒に暮らしている人のおかげなんだと思う。

私は自分のことをバカだ思っているし、よくそう言われていたけど、その人は、私のことをバカにすることは1度もなかった。むしろ尊敬する。と、今までバカにされてきた私の考え方を評価してくれた。

びっくりした。評価なんてされていい人間じゃない!と、最初はとても拒絶してしまった。「嘘」だと本気で思ってしまっていた。人間不信。疑心暗鬼。

それでも、何度も何度も伝えてくれる強さが私には眩しかった。私だったら1度しか伝えられなかったと思う。あんなに拒絶して、それでもなお伝え続けてくれる意味を今も探している。

私は泣き虫でめんどくさくて、本当に本当に疑り深い人間。そして、人に上手く頼れない人。

それはプライベートもそうだった。ずっと人の顔色を伺い続けていた癖がいつまでも抜けなかった。ひとつ間違えれば、私は地獄に落ちるんじゃないか。罵られるんじゃないか。と脅迫されているかの如く、不安でたまらなかった。

全部。全部。私の作りだした幻影。

私は私の人生を生きることに自信がなかったんだと思う。

だって、自己責任だから。

私は私の事を誰よりも憎んで嫌って、拒絶していたから。

裏を返せば、自分を貶めることには容赦がなかった。

私自身、私が孤立していけば、私は私を不幸にできる。

無意識の中で、私は、私を貶めていく。

でも、めちゃくちゃ小さい心の隅の奥に、懸命に叫ぶ私もいる。

「いきたい」と叫ぶ私。

人に笑われてもいいから、バカにされてもいいから自分なりの人生を歩みたいと、叫び続ける小さな小さな光があって、私がそれを認識したのは、今から10年ほど前のことでした。

その光は、とても小さくて、でもたくさんの可能性を秘めていると思った。
私が私自身の道を決めて、生きる。それはとても怖くて、不安でいっぱいになる。でも、生きるための最大で最後のテーマ。

私は、たくさんの人たちの伸ばした手を無駄にしてしまったから生きてる資格がないと思っていた。でも違う。きっと、この手で、もしかしたら私を救えるかもしれない。私に似た誰かを救えるかもしれない。

もう遅いかな。
まだ大丈夫かな。

いつか、きっと、その手を掴めるように。









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