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猫のわからない

僕は猫を愛している。なぜだかは、わからない。ヤギなのに。

ソクラテスは「わからないことをわからないまま愛すること」の重要さを説いた。

いや、ご存知のとおりソクラテスは生涯にわたって一切「結論」めいたことは話さず、自ら何も書き残さなかった。

だから、さっきの「ことば」は僕が勝手に触れてそう感じてるだけ。

猫は哲学だ。あるいは叡智。尊い。

何を考えてるのか。何を目指してるのか。何を感じてるのか。

猫は何も考えてないし、目指すものもとくにないし、感じるけどそれをことばで表明もしない。

というのも僕の勝手な推測で、ほんとは日々思考し、目指すにゃにかがあって、いろんなこと感じて表明してるかもしれない。わからない。

猫の時間は、とろんとしてる。止まってるわけでなく、リニアに流れ進んでるのでもなく。

その、とろんとした猫の時間にどうにか自分も入れないものか。

とろんとした時間に混じってるとき、僕は少しだけ猫そのものを感じる。感じるだけで何も判りはしない。

同時に、ああこれ以上わかろうとしてはいけないなと思う。

わかろうとすると猫は自分から離れていく。

その、わからなさが猫そのものであり、猫を愛することなんだ。