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年齢しばりを捨ててわかった3つのこと

もうずっと思ってるし、ときどきこうやって書いたりしてることだけど。
日本人が年齢気にしすぎな件。

何歳の生き方、何歳のたしなみとか。本でもベストセラーになったりするから、ほんとそういうの好きなんだなと思う。

いや、大きな主語よくないんだけど、この件に関しては使ってもいいんじゃないか。日本人の老若男女問わず、結構みんな「年齢しばり」で生きている。無意識と意識レベル両方で。

年齢しばり。何歳だからどうしないと、どうなってないと、もう何歳だからこんなことしてはいけない。あの人、何歳なのにすごいね、よくやるね云々。

初対面でも「おいくつですか?」「何歳?」そんな質問がわりとカジュアルにされるけど、何の意味があるんだろうといつも思う。そんなに年齢確認、大事?

だいたい多いのは相手の年齢確認によって「どんな話し方や態度をするか」決めたいからというケース。年下なのかタメなのか年上なのか。さらにその上下の程度具合によっても、態度も変えなくちゃいけないから。

そのつぎに多そうなのが年齢マウンティング。これもいろんなケースがあって、戦略的に自分の年齢を使ったりね。これはちょっとまた別の話になるので掘らないけど。

女性に年齢をたずねるのは失礼という暗黙のルールも、そもそも「年齢に意味を持たせる」前提になってるからじゃないのか。結局、たずねる側が年齢を気にしてるから年齢をたずねてはいけないというややこしい構造。

それほど外国人との接点が多くはないけど、それでも自分が経験したかぎりでは外国人はそんなに相手の(自分のも)年齢に意味を見出してない気がします。

年齢より、その人が何をやってるか、どんな生き方してるかのほうに興味を持ってる。

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まあ、ともかく個人的には年齢を前提に考えたり、何か行動したりっていうのが謎なんですよね。

仕事上でもいろんな人と出会うけれど、年齢はわりとどうでもよくて、その人個人として魅力的だったら何歳でも関係ない。

あと、僕の場合は基本、初対面なら年上でも年下でも関係なく敬語で話すので年齢で話し方や態度を変える必要もないし。

なので、個人的には年齢をものさしにして考えたり行動するのをかなり前に捨てました。年齢しばり。

*やめて楽になること

どんな相手でも「その人」そのものに焦点を合わせられるので、年齢的なものを気にして疲れなくて楽。大先輩でも若い子でもフラットに接するのがデフォルトに。

*とくに変わらないこと

どんな人でも基本、敬語。(とくに取材とか仕事で接する人は)何かすごいもの持ってるので年齢関係なく話を聞かせてもらうという姿勢。

*面倒くさいこと

ときどき何かの書類に記入しないといけないときにリアルに自分がいま何歳だったか忘れる。

まあ、18歳とか20歳になるまでは年齢的に社会的にできることの制限とかもあるので、気にするのもあるんだろうけど、そこを過ぎたら「年齢しばり」やめてみてもいいんじゃないのかなと思う。

年齢しばりで生きてると、結局、同世代コミュニケーションがいちばん楽になるので、同じような経験値、同じような価値観に囲まれて(それが全部ダメなわけではないけど)、そこからはみ出すことを怖れたり、はみ出してる人を「変わったやつ」扱いしてしまう。

それでもべつに幸せに楽しく生きられるなら全然いいんだけど、何か違和感感じてるなら「年齢しばり」を捨てると、それだけでも見える景色、自分の可能性も広がると思うんですよね。