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間(ま)ってなんだろう

人と話していて「間が持つ」とか、「間が持たない」とか言いますよね。それほど共通の話題がなくて「間が持たない」から困ったり。

どうやら、この「間(ま)」という概念というか捉え方は日本人独特のものがあるらしく。

なんとなくだけど、ほとんどの人が「間」って嫌ってます。間ができてしまうと落ち着かなくて、何かで埋めなきゃという感じになってしまう。

だけど「間」って、できるのにはそれなりの理由があるので「埋めよう」とすると結局、何か無理をしないといけない。それほどしたいわけでもない質問をしてみたりとかね。

たぶん、そういう「困った感覚」がセットになってるから「間」ってネガティブなものになるんだろうな。

個人的には「間」って嫌いじゃない。ずっとしゃべり続けられるようなマシンガントークを装備してないので、自分でも「間」はあるし、誰かの「間」も気にならないです。

取材をしていても、むしろいい取材には「間」があったほうがいい。これ、意外にそうは思われてないかもしれないんですけど。

ふつうに取材が進んでいて、何か相手のトーンというか言葉の出方が変わったとき。これ、言語化しづらいんですけど何か「踏んだ」ような感覚があるんですね。で、そこを流してしまわずに「それって?」みたいな感じで、ちょっとだけこっちの意識を前に出す。

すると、たいてい「間」ができます。相手も、そこは表面には出してない部分だったり、言語化してなかったりするのですぐには何も出てこない。

その「間」がすごく大事で。そのときの「間」はロスでも、焦って埋めなきゃいけない無駄な時間でもなく、本当の言葉が出て来るために必要な間だから。

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少し文脈は違うけど、春風亭一之輔師匠は「生きてる間(ま)を持つ」ことの意味を話されてたことがあります。

場が立ち上がる大事なところで、すぐに噺を進めようとするんじゃなくて、ちゃんと「生きてる間」を持てている噺家の演目は生々しくておもしろい。だからって、ただ間を空ければいいってものじゃない。それこそ間ぬけな感じになるし。

そこは僕もなんとなくわかる気がします。取材でも「生きてる間(ま)」が適度に出てくる取材は、その時間そのものが楽しいし、収穫もたくさんあるし原稿にするときまで楽しさが続く。結果として読み手が読んでも乗っていく感じがあるんです。

もちろん、僕もそんな名人ではないので毎回、ちゃんと「間」を生かせてるかなんて偉そうなことは言えないですが。

でも、なんとなく仕事でもそうじゃないときでも「間」は大事だなと思ってて。

たまにこっちは「間」を何とも思ってなくても、相手のほうがすごい勢いで間を潰そうって「なんか言わなきゃ」になってると「べつに無理に話さなくても大丈夫すよ」って言いたくなるんだけど、言うとまた変な間ができるんだろうな。

そういう「間(ま)」こそお互い困りますよね。