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クリエイターとは何なのか問題

ことばにした途端に「何か違う」と感じてしまうことがある。

いや、間違ってはいないんだけど微妙にしっくりこないというか。まるで合ってなければ気にならないんだろうけど、合ってなくもないから逆に気になってしまう。

重箱の隅をつつきたいわけじゃない。ただ、自分の中で何か気になるというだけ。

note界隈でもいまだにたまに勃発する「クリエイターって何?」な葛藤とか議論も。「クリエイター」ってことばにした途端に、なんだか周囲に靄がかかった感じがするんだ。

こういうひとがクリエイターだとか、私なんてクリエイターじゃないとか。

正直、クリエイター呼称はどうでもいいと思っていて、それより「その人」の生み出すものに何か魅力があるかどうかだよなぁと。

べつにnoteの世界で、誰かの発信してるものを「この人はクリエイターかそうじゃないか」なんて考えない。狭い意味での職業的なものとかも含めて。

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noteってクリエイティブなプラットフォームなんだけど、いろんなマウントを取っ払ったフラットな空気感が魅力として大きな要素だ。

フラットだから、文字どおり「誰でも」クリエイティブに使える。

ただ、フラット故に難しさを感じる人もいるかもしれない。どう使えばいいのかわからないってやつ。

でも、どう使えばいいかなんてあまり考えなくてもいいんじゃないか。それより「自分がどう生きてるか」に目を向けて、自分の生きてる表現がそこにあればクリエイティブを感じられる。

なんなら何もつくってなくても、その人の生き方で周りに何か良きものが生まれる触媒みたいな人だってクリエイターかもしれない。

わかりやすくWebメディアに出てくる職業とか伝統産業でイノベーティブなことしてる人だけがクリエイターではなくて。

「今年の創作活動を振り返ってみましょう!」とnoteさんから言われて「創作活動」と思ったけど、まあたしかに今年のnoteを振り返れば、そこには自分の「こう生きてた」がある。

決して、かっこいいものでもない。創作活動しようと思ってしてきたことばかりでもないものだってある。

けど、愛おしいなと思う。noteを使って自分がちゃんと生きて、その中で出会った人たちの「生きてる表現」にいろんな感情を動かされたり、大切なものを少しわけてもらったりできたことが。

そんな体験が積み重なった今年のnoteたち。

誰かの感情を動かし、かたちのない大切な何かを分け合ったりさせてもらえるんだから、やっぱりnoteの人たちは魅力がある。クリエイターと呼んでも呼ばなくても。