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自分のために書かない

ライターは自分のために書かない。そんな不文律がある。少なくとも僕にはある。

メディア記事なら取材して話を聞かせてもらうインタビュイーのため、書籍ならコンテンツを持つ著者の伝えたいことのために書く。どちらも最終的には「読む人」のために書く。

なぜなら、それがライターの役割だからだ。

ライターが自分のために書いてしまったら仕事として成り立たない。もちろん、よほど腕もあって名の売れたライターなら「このライターの書くものは読みたい」というのもなくはない。

けど、そんなのはごく限られる。ほとんどの場合、読む人はその取材対象、コンテンツの持ち主の話を読みたいのであってライターの話を読みたいわけじゃない。

中途半端に「自分」を入れてしまった文章は読みづらい。入れるならそれなりの技術、文章力がいる。

良い悪いではなく、そういう職業だということ。むちゃくちゃ雑に分けたら、自分のために自分のことを書いても成り立つのは「作家」で、ライターはそうじゃない。まあ、意外にそこは勘違いされやすいのだけど。

なんで、こんないまさらなことを書いてるのか。僕自身がいま、ライターではなくなってるからだ。

※ここから先、病を得てライターでなくなろうとしている一個人のどうしようもない内側を吐露してるだけで特にカタルシスもない文章が続きます。そっと話を聞くよという人だけ入ってもらえたらうれしいです。

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