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想いをそのまま言葉にできるか問題

自分の想いをそのまま書くことってできるのだろうか。

もし、そのままだと相手が受け取れない(受け取りたくなさそう)なら、受け取れるように変換したり、まろやかに書くことってできるのか。書く技術的なものと、そういうことを自分に許せるかという両方の意味で。

この前、あるところでそんな問いが立てられた。その場にいた人たちが、それぞれ問いに対する自分の考え方とかスタンスを話したのだけど、いろいろ考えてしまった。もちろん、いい意味でだけど。

そもそも自分のリアルな想いって言葉にするのは難しい。生々しすぎて相手を引かせてしまうかもしれないし「そのまま」ちゃんと伝わる保証もない。だからやっぱり「書いていいのかな」と躊躇してしまったりもする。

だから、冒頭の「問い」のようにときに「書けるのかな」「書いていいのかな」の壁にぶつかるのかもしれない。

ふみぐらさんはどうですか? と聞かれて、どう答えたんだっけ。

いつもならノート(リアル紙のノート)に書きながら考えるのだけど、そのときは徒然に話したので断片的だけどこんなふうに言った気がする。

相手が受け取れるように書くのは、職業的なライティングをできる人ならだいたいできると思う。自分の想いを相手が受け取れる文脈の中で書いたり、一見、それとは思わないように書くとか、そこにはいろんなテクニックもあるから。

だけど僕の場合は、そもそもあまり「自分の想い」を文章にしたいという欲求とか発想がない。書きたい人を否定したいわけでもなくて。もちろんストレートに書けて読ませてしまう人もいるし、それはそれで「書ける人」だと思う。

自分の中に想いがないわけじゃない。あるよ。けど、それは何か書きたい(描きたい)世界があって、それを書く中で自然に滲んでくればいいと基本的に思ってる。

というか、もっと言えば「自分の想い」なんて自分でそれほどちゃんとわかってないかもしれないから。

全然関係ない誰かの話とか、行ったこともない街の匂い、そこに佇む忘れられた何かに触れて、それを文字にしたときに自分でも思ってもなかった「自分の想い」が不意に滲んだりする。

自分でもハッとしたり、ときには何かに打たれた気分になることもある。自分の中から出て来た想いのはずなのに。

たぶん、なかなか伝わりづらいこと言ってんなと思う。

だいたい、そういう「想い」は、いつ書こうかとか、どう書こうって持ち運べない。自分でも持ってることがわからないのだから。だけど、たしかにある。ふだんは語れらないだけで、あるとき何かちょっとしたことで語り始めたりする。

個人的には、やっぱりそういう「自分の想い」をどうにかして書きたいという気持ちはあまりない。

ただ、そういうものが自分の中のどこかにひっそりと転がってるんだろうなと思えればいい。知らない街の自販機の横に据えられた空き缶入れの口に書かれた落書きぐらいの存在で。